活きがいい魚が多かった
活きがいい魚が多かった
韓国南西部に浮かぶ莞島(ワンド)。面積は、日本の種子島より一回り小さい。ここにはかつて新羅(シルラ)時代に強大な軍事拠点があった。そのあたりの話はドラマ『海神(ヘシン)』でも描かれていた。

■活きがいい魚

 莞島は朝鮮半島とは一衣帯水の海で隔てられた島なのだが、莞島大橋が1969年に完成してから、交通量は陸地と変わらなくなった。しかも、済州島へ行く大型フェリーの発着港となっているので、人も多く押し寄せる。橋一つの完成によって、莞島は完全に様変わりしたのだ。

 私(康熙奉〔カン・ヒボン〕)は、まず港を見ようと思った。港の手前の小さな公園を通ると、ご老人が5、6人集まって花札に興じていた。そばに寄ると、各人の前に1000ウォン(約100円)の紙幣が薄く積まれているのが見えた。自分の懐具合を計算しながら遊ぶのが賭け事の鉄則。ご老人たちは、そのことをしっかりとわきまえている。

 公園を過ぎると大通りがあり、その両側には食堂や土産物屋がズラリと並んでいる。その一角に、「活魚海産物センター」という看板が出ていた。

 体育館のような建物の中に入ると、近海で採れた魚介類がたらいからあふれんばかりに並べられていた。タコ、イカ、ウナギ、スズキ、鯛、平目……。みんな活きがよさそうで、中にはピョンピョンはねてたらいから飛び出す魚がいる。そのたびに、アジュンマ(おばさん)が笑いながら魚を取り押さえていた。

 私がにらんだところ、たらいが小さすぎるのである。そこにホースでたっぷり水を注ぎ込んでいるものだから、魚も楽にたらいから飛び出せる。活きの良さをアピールするための演出とにらんだが、さてどうだろうか。

■残念ながら刺身を断念

 魚を見て回る度に、威勢のいいアジュンマから盛んに声を掛けられる。けれど、一人旅の途中に活魚を買ってもどうにもならない。

「大丈夫、ホラ、食べるところがあるから」

 そう教えられて端を見ると、湯気がもうもうと上がっている。観光客が大勢で鍋を囲んでいるようだった。

<うまいだろうなあ>

 鯛でも平目でも、刺身を堪能したあとに鍋でしめれば最高の食事だ。

 けれど、1人で1匹さばいてもらっても食べきれない。大勢の団体客の中でポツンと1人で食事をするのも侘しい。自分の立場をわきまえているので、しばらく食堂の賑わいを羨ましげに見たあとで、踏ん切りをつけて外に出た。

 すぐに、漁船がズラリと係留されている漁港に出た。このあたりは日本の漁村の風景と変わらない。波に応じて船が時間差で揺れている光景は、小学校時代の朝礼時のふぞろいな整理体操を思わせた。てんでばらばら、というのも、なんだか微笑ましい。

 漁港の前の大通りを渡ると、そこは市場になっていた。細い道の両脇に、食料品の店が重なるように軒を並べている。魚と肉が入り交じった臭いにあおられて奥まで進むと、市場が尽きたところに小さな書店があった。

 看板には「国際書林」と出ている。韓国では、名は体を表さない。あきれるほど大げさなネーミングが横行している。この書店もその一つか。小さな書店のどこが「国際」の名にふさわしいのかを確かめるために入ってみた。

■莞島の書店にて

 店の奥で60代の女性が新聞を読んでいた。客は誰もいない。私は書棚を次々と見て回ったが、彼女は私になんの関心を示さず、熱心に新聞を読み続けていた。それで済むなら、書店ほどありがたい商売はない。客は勝手に自分で本を選びだして買っていく。あるいは、冷やかしただけで風のように去っていく。その間に、店の人は新聞や本を読んでいればいい。

 万引きを警戒しないで大丈夫?

 かえってこちらが心配になるほどで、放っておかれると、何も買わないのが申し訳なく思えてきた。折よく、莞島を含む全羅(チョルラ)南道の地図があったので、それを女性のところに持参した。

 彼女はちょうど、新聞の国際面を読んでいるところだった。眼鏡の奥の目は真剣そのもの。「国際書林」という店名を掲げているだけに、国際情勢に関心が深いのかもしれない。急にこの初老の女性に興味がわいてきて、代金を払いながら尋ねてみた。

「このあたりで美味しいものが食べられる食堂はありませんか」

 反応がすこぶる早かった。彼女はすぐに私の目を見据え、「何が食べたいの」と聞いてきた。

「海が近いから、魚かな」

「魚にもいろいろあるから、もっとはっきり言って」

 私の曖昧さと彼女の明確さが好対照だった。「もっとはっきり」と言われても、具体的に何も頭に浮かばず、私は相変わらず曖昧なままだった。

■ヘグン食堂のウナギ煮込み

 しびれを切らして、彼女のほうから具体的な名前が出た。

「ウナギはどう?美味しい店があるわよ」

「それで行きましょう」

 私は二つ返事だった。別に、ウナギでなくても、鯛でも平目でもタコでも「それで行きましょう」と答えていただろう。ああ、決断力の弱さを嘆きたくなる。

「ヘグン食堂という店のウナギ煮込みが美味しいわよ。でも、1人みたいね。1人でも大丈夫だったかなあ」

 そう言いながら、女性はわざわざ番号案内でヘグン食堂の電話番号を聞きだし、直接電話してくれた。まさに至れり尽くせり。客を無視して新聞の国際面を読んでいたとは、思えないほどの親切ぶりだった。

 さらに、どこかに電話をかけて「お客さんをヘグン食堂まで送ってあげて」と命じていた。

<安い地図を一つ買っただけなのに……>

 私はすっかり恐縮してしまった。

 ほどなく黄色い軽トラックが国際書林の前で停まり、長身の青年が私を迎えにきてくれた。

 私がていねいに礼を言って店を出ようとしたら、すでに女性は先ほどのように自分の世界に入って新聞を読んでいた。彼女の頭の中には、もう私の存在は影すらないかも。切り替えの早さは、惚れ惚れするほどだった。

 軽トラックの助手席に座ると、青年は「すぐですから」と言ってアクセルを踏んだ。横顔は精悍で、くっきり見える頬骨が意思の強さを表していた。書店の女性の息子に違いはないが、書店だけでは親子が食べられないので、別な仕事をしているのだろうか。

 でも、どんな仕事?

 愛想もよく話しやすそうな青年だったので、これから根掘り葉掘り聞こうと思ったら、あっさりとヘグン食堂に着いてしまった。

■煮込みにするという発想に拍手!

 青年に礼を言ってから食堂に入った。すでにウナギ煮込みの注文は通っているようで、店のアジュンマは私を座敷の窓側の席に案内すると、何も聞かずにそのまま厨房に戻ってしまった。

 座敷にいる他の客は、中年のカップルが2組だけ。やはりグツグツと煮込まれたウナギを食べている。その匂いが漂ってくるだけで、もう腹が鳴り出した。それが何度か続いたあと、アジュンマが大きな盆に料理をたくさん載せてやってきた。

 アッという間に、膳の上は皿に盛られた料理でいっぱいになった。キムチ類は白菜、カクテキ、大根の細切りの3種類、野菜のあえものはニラ、豆もやし、青とうがらし、ふき、青菜の5種類、塩辛はイカ、タラの内臓の2種類、それに、キュウリ、ノリ、小魚が加えられていた。それらをおかずにしてご飯を食べ始めたところで、煮込まれたウナギが運ばれてきた。

 汁はとろとろになっている。早速、スプーンですくって汁を飲んだが、あっさりしていながらコクがある味わい。ネギや大根と一緒にウナギもじっくり煮込まれていて、その身を口に運べばすぐに溶けていくような食感だった。骨も柔らかくなっているので、そのまま噛み砕ける。初めての食感が舌に心地いい。

 何よりも、ウナギ、というのがうれしい。

 朝型の私は、昼までに1日のあらかたの仕事を終えるようにしているが、「今日はいい仕事ができたなあ」と思うとき、昼食によくうな重を食べる。その度に思う……世界でもウナギをこれほど美味しく食べるのは日本だけだろうなあ、と。

 けれど、韓国もさすがである。ウナギ煮込みという発想に拍手だ。ウナギの身が柔らかくなりすぎて、汁の中でグチャグチャになってしまうことを嫌がる人もいるかもしれないが、煮込むほどに味がしみてまろやかになるのは確かだった。

 このウナギ煮込みを食べただけでも、「莞島に来て本当に良かった」と思った。

文=康 熙奉(カン ヒボン)
出典=「韓国のそこに行きたい」(著者/康熙奉 発行/TOKIMEKIパブリッシング)
(ロコレ提供)

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