「Secret」左からソナ、ジウン、ジンガー、ヒョソン
「Secret」左からソナ、ジウン、ジンガー、ヒョソン
【ライジングスター】来る8月3日に「Madonna」で日本デビューを飾ることが決定し、7月6日には東京で「Premium Debut LIVE」を開催する「Secret」。ソロ活動も活発に行うソン・ジウン。(この記事は「Secret」ジウン【1】から続いています)

Secret の最新ニュースまとめ

<b>■練習生の始まり、“平凡な”思い出を失う</b>
 「ブラウン・シティー」というバンド活動を通し、歌手の夢をひとつずつ叶えていたジウンに想像もしていなかったチャンスが訪れる。それは有名なドラマ制作会社からオーディションのオファーを受けたことだった。「ある有名なドラマ制作会社から連絡を受け、オーディションを受けました。合格はしましたが、ドラマ関係の会社だったため、歌手志望の練習生が存在していませんでした。契約なしに練習生として入り、本格的にレッスンやレコーディングを受けることになりました」

 当時ジウンは高校生で、同級生とキャンパスライフを楽しみ思い出を作る年齢であったが、連日続く練習は彼女を平凡な高校生から遠ざけた。「練習生時代は毎日レコーディング室に出向きました。それは、会社から学校側に公文を送り可能になったことでした。一坪あまりの練習室で歌ばかり歌って過ごし、最も歌の実力が伸びた時期でもありましたね」

 しかし後悔が残った。練習生として大部分の学生時代を過ごしたジウンに友人との思い出作りは贅沢に近かったという。「高校1年生から友人との思い出がひとつもありません。キャンパスライフを満喫できなかったことを後悔していますね。卒業写真を撮る日も練習をしていたため、卒業写真はありません」

 友人らとの関係が疎遠になりながら、ストレスが溜まり始めた。「いつも誘いを断っていたので、いつの間にか除外されるようになりました。とても悲しかったです。『友人らの中でわたしは蚊帳の外』という思いに、一時、スランプに陥りました」

 こうしてスランプに陥ったことで、歌の実力は以前のようにはいかなくなった。「皆は成績が振るわずストレスを受けるのですが、わたしは歌の実力が伸びずにストレスを感じていました。前日に作曲家から叱られると、気分が落ちた状態で学校に行きました。わたしの状況を知らず、『どうしたの』と問う友人らの言葉に涙を流すこともありました。朝、友人らに慰められながら泣き、2時間目終了後にはまた練習室に向かいました」

 淡々と学生時代を話すジウンは感情がこみあげたのか、しばらく話すことができなくなった。「卒業アルバムがほしかったのですが、それも叶わずに残念でなりません。すべて夢に向かってのことでしたが、些細な普通のことまで諦めなければならないことがとても多かったように思います」

 他の人にとっては当然のことすらできなかったジウンの目には、すぐにでも流れそうな涙が溜まっていた。

<b>■JYPエンターテインメントに入団、新たな挑戦の始まり</b>
 歌手ハム・ソウォンや「T.T.MA」らのガイドボーカル(仮歌)をしたのも、ドラマ制作会社での練習生時代からだった。特にチャン・ヘジンら先輩歌手の楽曲にも参加し、彼女の実力は認められ始めた。「チャン・ヘジン先輩の仮歌を歌ったときが、最も緊張しました。先輩が『音程は素晴らしいが、まだ若いからか感情がない。もっと感情豊かになるように練習すればいい』と直接アドバイスもしてくださいました。忘れられない記憶のひとつです」

 高校1年生~3年生まででジウンが仮歌を務めた楽曲は60以上にのぼる。こうしてレコーディングに参加しながら、歌手に対する夢はさらに大きくなっていった。「レコーディングガイドを続けるうちに、歌手になりたいという気持ちが大きくなりました。欲も出てきて、『わたしが歌えば、別の感じでより上手く歌えるのに』という思いにもかられました(笑)」

 しかし、前だけを見ていたジウンに急なスランプがやって来る。歌手としての夢を諦めようと心に決めるほどのことだった。理由は他でもない、ダンスだった。「もともとダンスの素質がありませんでした。でも、練習ではラップやポッピングダンスを教えられるんです。わたしはバラードが好きでした。歌いたくない音楽スタイルをさせられることに情熱も奪われていきました。以後、音楽を辞めようと心に決め、4か月間、歌わなかったことがありました」

 もうひとつの敵はダイエットだった。歌手になるためには必ず必要なことだったが、幼いジウンにはつらく過酷な過程だった。「高校2年生からダイエットを始めたのですが、とても嫌でした。学校の成績も落ち、すべてが上手く行かない状況でしたね。母に『(歌をやめて)勉強しなおす』とまで言いました」

 しかし“習慣”はジウンをそのままにして置かなかった。何年間も1日も休まずに、数千、数万回も歌って来た「歌」の存在は大きかった。「4か月ほど休んでいる間も歌う夢を見ました。もう歌うことが習慣になっていたのです。授業が終わり友人らと家に帰るのですが、いつの間にか道端で大きな声を出し歌っていました(笑)」

 こうして四六時中、歌への夢と情熱を失わなかったジウンに「JYPエンターテインメント」からオーディションの話が舞い込んできた。「当時、大手企画会社は夢にも見ていませんでした。わたしとは違う人たちが行く場所だと思っていました。体重も増えていましたし、歌の練習もしていなかった時期だったせいもあり、このように否定的に考えてしまっていたのかもしれません」

 ジウンはオーディションで、歌はもちろん、ドラマ制作会社での練習期間に学んだポッピングダンスを見せた。嫌いだったダンスが大きく役に立った。しかしJYPの立場は冷淡だった。「オーディションの審査員らから『君のはダンスではない』と言われました(笑)。堂々と『知っているダンスはこれしかない』と告げると、『楽曲をひとつ渡すから30分以内に歌うことができるか』と言うんです。そのときの楽曲がポップスだったのですが、2節まで覚えて歌いました。その情熱を良く見てくださったのだと思います」

 しかし、これが全てではなかった。一週間のダイエット・ミッションを言い渡されたのだ。「その姿を見て練習生として選ぶか決定したい」というのが、JYPの立場だった。「1週間、1日にさつまいも1個でした。絶対に合格したいという一心でした。結局、2~3キロ痩せ、歌の練習も再スタートしました」。そしてジウンはJYPの練習生に選ばれる幸運を手にしたのだった。

<b>■デビュー当時、存在感がなく精神的苦痛を味わう</b>
 JYPの練習生となったジウンは、集団生活をしながら嬉しさよりもぎこちなさの方が大きかった。単独で練習生時代を過ごしていたジウンにとって、「チーム」という存在自体がぎこちないものだったのだ。「単独で練習してきたわたしにとっては、チームの中にいること自体に違和感を覚えていました。でも、JYPでは11か月間、本当に悔いなく一生懸命に練習しました」

 しかしジウンは「アンタッチャブル」のフィーチャリング参加で出会ったTSエンターテインメントと契約し、本格的な歌手準備に入った。理由は単純。常にそばで自身の音楽を聴いてくれた現事務所への感謝の気持ちからだった。

 紆余曲折の末、「Secret」という名前でデビューしたが、ジウンは初期から悩みが多かった。「デビュー初期には存在感もなく、ジンガーとすごく悩んでいました。ソナとヒョソンのことは知っていても、わたしとジンガーのことはよく知らないという方が多かったのです(笑)。『わたしはこんなものか』という思いもありました。初めは、テレビ局で声をかけられることもなく、『この子誰だ』という眼差しがすごく怖かったのを覚えています」

 それもありジウンはよりリーダーになりたいという欲が増していった。しかし、その欲がつまらないものであると悟るにはそれほど時間がかからなかった。「もともと、リーダーになりたいと思っていましたが、集団生活をしてみて、わたしにできる役割ではないことを悟りました。自然と『欲張ってはいけない』と思うようになったのです。ヒョソンさんがリーダーに最適です」

 デビューしてまもなくメンバーのソナがバラエティ番組「青春不敗」に出演し人気を得ると、自身もテレビ出演に強い関心を抱くようになったというジウンは「しかし、最も難しいのがバラエティだ」と話した。「周囲から『君もバラエティに出てみないか』という言葉もいただきました。しかし番組に出演してみると、本当に難しく嫌でした。表情は固まり、話も詰まってしまって…。その後は『ソナはバラエティの場でもよく適応できるんだな』と能力を認めるようになりました(笑)」

 今は「Secret」を世間に広めたソナに感謝の気持ちでいっぱいだというジウン。彼女は「『Secret』は最高」と話した。グループに対する愛情がどれ程深いのかを知らせてくれる一言だった。(記者:パク・コヌク)


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