キム・ジェスン
キム・ジェスン
12月15日(水)~20日(月)関西国際空港エアロプラザ特設会場にて行われ、12月23日(木・祝)~26日(日)ハービスホールにて引き続き開催される<OSAKA韓国クリスマスフェスタ>。

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去る19日(日)、同イベントに韓国ドラマ『華麗なる遺産』、『快刀ホン・ギルドン』、『No Limit~地面にヘディング~』など、数々の作品に出演した話題の韓国若手俳優キム・ジェスンが登場し、撮影裏話やオリジナル曲の披露など、キム・ジェスンの魅力たっぷりのトークショーを行った。以下はイベント直前に実施されたインタビューでの質疑応答。

<b>-まず、幼少時のことをお伺いします。幼稚園や小学校の頃はどんなお子さんでしたか。運動が得意なほうでしたか。それとも勉強ですか。</b>
自分で言うのも何なのですが、勉強はよくできたほうでした。小学生の頃はクラス委員を何度もし、6年生では児童会長も務めていました。
<b>-目立ちたがり屋さんだったのでしょうか。</b>
いいえ、違うんです。人の前に立ち、指示を出すことは得意でしたが、自分自身をアピールすることは苦手でした。どちらかと言うと、内向的でした。
<b>-では、卒園や卒業文集では将来何になりたいと書かれていたのですか。</b>
化学者です。まあ、子どもでしたから、夢は大きかったようです。

<b>-子どもの頃、スカウトマンが多く学校に来られていたとお聞きしましたが、何のスカウトだったのですか。</b>
スカウトが始まったのは幼稚園の頃です。その頃、髪の色が今より茶色で目がもっと大きかったんです。歌手・俳優・モデルと限定せず、マルチ分野で活躍できるタレントとして、スカウトされていました。

<b>-いざ、芸能界入りして、初めての撮影を覚えていますか。</b>
はい、とにかく緊張で、穴があったら入りたい、そんな心境でした。頭は真っ白になり、何をどう演技したかまったく覚えていません。もともと、少し人見知りするほうでしたし、内向的な部分もありましたから…。今では、ずいぶん慣れました。
<b>-ご自身の作品を初めて見たときはどのような心境でしたか。</b>
あの時は、心臓がどきどきして、ドラマのタイトルがテレビ画面に出てきただけで、倒れそうでした。そして、自分の名前が画面に出てきたとたん、体が固まって最後までがちがちで見ました。本当に恥ずかしかったです。
<b>-今はどうですか。</b>
かなり慣れました。内向的なところも徐々に変われたと思います。

<b>-2010年を振り返って、どのような1年でしたか。</b>
ことしは仕事の面では順調だったと思いますが、個人的に辛いこともあった1年でした。
<b>-東京でファンミーティングをされたそうですが、日本のファンの皆さんと会ってどうでしたか。</b>
はい、12月上旬に東京でファンミーティングをしました。10人くらいでも来てくれたらいいなと考えていたのですが、不安な気持ちで会場のドアを開けると、100人以上ものファンの方々が来てくださっていました。本当に嬉しかったです。
<b>-では、2011年はどんな1年になりそうですか。</b>
今回の来日の直前にレコーディングをしました。来年は歌手ではなく、歌える俳優として頑張ろうと思います。今日は、ファンのみなさんにいち早く、わたしの歌を届けたく、急遽CDにして持って来ました。

<b>-最後に、<WoW!Korea>のご愛読者に一言お願いします。</b>
<WoW!Korea>の読者の皆さん、初めまして、わたしはキム・ジェスンです。これからも<WoW!Korea>を愛してください。そして、キム・ジェスンもどうぞよろしくお願いします。

インタビューではイベント出演の直前にもかかわらず、終始笑顔で応じてくれた。子どもの頃を語る彼は、大きな澄んだ瞳を輝かせていた。来年は歌える俳優キム・ジェスンとして活躍されることだろう。

またトークショーでは、俳優になるきっかけとして「ミュージカルを最前列で鑑賞した際、一生懸命に演じる役者の汗が自分の顔にかかったとき大きな衝撃を受け、俳優になる決定打になった」と語った。そして、レコーディングしたての2曲を披露し、覚えたての大阪弁「すっきゃねん」と言い会場を笑わせる場面も見られた。トークショー終了後には、CD購入者を対象にサイン会及び握手会を行い、笑顔で会場をあとにした。

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