今年1年、芸能界で起きた様々な事件の中、ファンたちに深い悲しみと消すことのできない切なさを残したまま他界したスターたちが多かった。

イ・ウン の最新ニュースまとめ

多くのスターたちが病魔と闘い永眠され、ファンの切なさと痛みはとても深かった。ファンはスターの死後にもインターネットを通じて追慕の意を表し、芸能史に偉大な功績を残した彼らの姿を消さなかった。

<b>闘病の苦痛、情熱で燃やす</b>
2005年になると同時に伝えられた悲報の主人公は、歌手キル・ウンジョン。84年『大切な人』という曲でデビューし活発な活動を行ってきた彼女は、去る96年から直腸ガンで長い闘病生活の末、新年を向かえた7日目に帰らぬ人となった。

死の直前まで音楽に対する情熱を燃やしアルバムを発売、病状が悪化してまでも歌った彼女のお別れコンサートは、ファンたちにこれ以上にないプレゼントであり、同時に深い悲しみでもあった。

2月にはベテラン俳優ファンヘ(本名チョン・ホング)が高齢と糖尿によって他界した。

典型的な芸能人家庭として、ベテラン歌手である夫人ペク・ソルヒとの間に、歌手兼映画俳優のチョン・ヨンロクなど4男1女を設け、まさに“芸能界の巨木”であった。

49年映画『城壁をくぐり』でデビュー、『青春双曲線』『恨み多き青春』『5人の海兵』『豆満江よ、さらば』『特攻隊と帰らない海兵』など、男性像を代弁する演技を繰り広げた彼の他界で芸能界は大先輩を失った悲しみに沈んだ。

同月、芸能界はもちろん全国に衝撃を与えたニュースが伝えられた。それはイ・ウンジュの自殺。

『ブラザーフット』『スカーレットレター』『バンジージャンプをする』『永遠の片想い』などのスクリーンと、『火の鳥』などのブラウン管での活発な活動で演技力を認められ、多くのファンを確保していた彼女の死は“衝撃”以外の何者でもなかった。

<b>大韓民国に衝撃が走ったイ・ウンジュの死</b>

自宅で首を吊ったまま息を引き取ったこの事件は結局、“鬱病”による死亡であるという結論に至り、捜査が終了したが、亡くなる役を多く演じてきた彼女の出演作品から、“運命説”が唱えられることもあった。

4月には元老俳優キム・ムセンが持病で他界した。

『ラストダンスは私と一緒に』『屋根部屋のネコ』など、数多くのドラマと『2人といないお前』『孤独がもがく時』など、100作を超える映画に出演している他、次男であるキム・ジュヒョクもタレントと俳優として代を引き継ぎ活躍している、芸能一家として有名だった。

63年声優としてデビューした彼は、謹厳な声と濃い男性美を漂わせる演技で、幅広い愛を受けて来た。

6月には、『太祖王建』『夏物語』『TV文学館』 などで男らしい演技をして来た中堅タレント、キム・ジネが糖尿病の闘病の末、他界した。

糖尿に併合し左足を切断までした彼は、愉快なファンたちと同僚、後輩たちを残し、この世を去った。

キム・ジネ死亡の翌月、グループ<トシエアイドゥル(シティ・ボーイズ)>のメンバーとして有名だった歌手キム・チャンナムが、肝ガン癌で他界した。

86年、歌謡界にデビューした彼は『月影の窓辺で』『天女ときこり』など、多くのヒット曲を残し、歌への熱情で強行したアメリカ公演の後、病状が悪化し他界。ファンたちの心を痛めるかたちとなった。

<b>今年も間違いなく“11月の恐怖”</b>

11月には“歌うウグイス”として一時代を築いてきた<ウンバンウル>姉妹の姉パク・セマルが、胃ガンで闘病の末他界した。


『麻浦終点』『無情なあの人』『三千浦の娘』『故郷の消息』『万華鏡のソウル』といった珠玉の名曲で、庶民と大衆から多くの愛を受けてきた。

特に、『麻浦終点』は、民族の哀歓を込めた曲で時代を駆け抜けてきた名曲に位置づけられ、全国民に愛されて来た。

その数日後、元老映画監督であるチェ・フンの他界も芸能界に哀しみを与えた。

『父さん、アンニョン』『勿忘草』『水仙』といった伝統メロ監督として指折りの名監督であり、『俺たちに明日はある』『夢の樹』といったハイティーン映画ブームを作り話題となった。

さらに続いて、人気長寿ドラマ『田園日記』のチョン・エランが他界、全国民が哀悼した。特に、高齢と肺ガン、糖尿などでの闘病生活が人々の心を痛ませた。

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