<b>パダ、故イ・ウンジュとの思い出の手紙・写真を遺族へ</b>

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歌手のパダが22日、自ら命を絶った親友イ・ウンジュ(25)との手紙や一緒に撮った写真などをイ・ウンジュの母に手渡した。

ニュースを聞いてショックの余り倒れたというパダは、午後6時40分頃、京畿道(キョンギド)盆唐にあるソウル大学病院の霊安室に来る前、ソウル市三成洞の自宅で、イ・ウンジュとの思い出を振り返り、涙を流した。

普段からイ・ウンジュと文通していたパダは、数十通の手紙やいたずらっぽく撮ったポラロイド写真などを大切に箱に収めた。「ウンジュの形見だから、彼女のお母さんに差し上げたい」という思いからであった。

イ・ウンジュの遺族に細心の配慮をしたパダと、イ・ウンジュの友情は格別に強かった。パダは霊安室に向かう車の中でも「映画『テルマ&ルイーズ』みたいに自由なヒロイン役で、一緒に映画に出ようって言っていたのに、先に逝ってしまった」と嗚咽した。霊安室でも、イ・ウンジュの母親を支えつつ、京畿道盆唐(キョンギド・ブンダン)のイ・ウンジュの自宅まで送るなど、母親のそばを離れなかった。

パダの所属事務所、モドゥエンターテインメントのある関係者は「イ・ウンジュさんのお母さんは、パダを実の娘のように思っていました。2人は互いの家を行き来する仲で、お母さんはパダに“最近はCD市場が不況ね”と冗談を言いつつ、お小遣いをあげたりもしていた」と語った。

また、「内気な性格の2人は特別に仲が良かった。パダの具合が悪いと、ウンジュさんが薬を買って、誰よりも先に駆けつけたし、2人でコーヒーショップに行くなど、いつも一緒でした。また、ウンジュさんが車を買ったときも、パダのアドバイスが大きな役割を果たしていました」と付け加えた。

パダは、イ・ウンジュ死亡の前日も、電話で話していた事が知られている。

パダのある側近は、「パダは、ウンジュさん死亡の前日も彼女と電話していましたが、この頃は、実際に会ってはいないようだった。ウンジュさんと電話するときは、パダが何か助言していたようで、“最近会えないけど、地方にでも行ってるの?”などという会話をしていました。でも後になって、ウンジュさんが独りで苦しんでいたことがわかったんです」と残念がった。

一方パダは、今春、日本ソロ進出のための話し合いで、数日後日本へ出国する予定。しかし、日本のレコード会社など、関係者たちは、「日本のメディアで映画『ブラザーフッド』のイ・ウンジュさんのニュースを聞いた」と、パダの精神的ショックを考え、逆に関係者が韓国に赴くという意思を伝えている。

Copyrightsⓒyonhapnews & etimes Syndicate & wowkorea.jp
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