彼女は人を笑わせる。何故か日が経つほど度が増して行くようだ。特に芝居の機会が少なかった最近は、彼女が本当はお笑い芸人だったのかという錯覚まで起こしてしまう。内心心配になって「ちょっとは芝居しろ」と言ったら、「ご声援ありがとう、来年あたりに一本出てあげる」と独特のジョークで返してくる。

キム・ヒョジン の最新ニュースまとめ

ともに分かち合う世の中のため“タサモ”出帆式に男女芸能人20人余りが所属している芸能人社会福祉法人“タサモ”(タットゥタン サラムドゥレ モイム= 韓国語で“暖かい人たちの集まり”の略称)会員たちが1日午前、ソウル・汝矣島(ヨイド)の63ビルで開かれた出帆式で、公式出帆宣言と共に記念写真を撮った。

ところで後でわかったが、彼女が芝居に集中できなかった理由があった。芸能人たちのボランティア団体“タサモ”を切り盛りしていて、2年もの間、超多忙だったのだ。もちろんそんな素振りは全く見せない。時々“タサモ”の各種イベントに彼女が参加したという事実が知られているに過ぎない。

しかし、キム・ウォニ(写真左端)はその間“タサモ”の主席総務委員を任され、先ごろまで、この団体を社団法人として出帆させることに総力を傾けていた。全ての経費計算を受け持ったのはもちろん、連絡係となって会員を督励したり“脅し”もしたりして、“タサモ”を引っ張ってきた。

バラエティ番組<大韓民国1時間目>と<遊びにおいで>の司会を担当し、夜の視聴者達を楽しませた明朗少女が、これまで表立たず“タサモ”をリードしてきた事情を聞いた。彼女の生の“証言”を聞けば、今まで“タサモ”に対して(もしくはキム・ウォニに対して)“軽かった”視線が一新されるだろう。

以下は一問一答

‐総務を担当しているそうですね。意外です。
▲2003年4月の出帆時からです。もう大変。お金の計算で死にそうになりました。副総務委員の(キム)ジョンウンと帳尻を合わせるため、お互い電話口で午前4時まで通話したこともありました。本当のところ、やる人がいなかったので私がやることになったんです。他の人は(お金に緻密じゃないので)私よりひどかったから(笑)。でも今回社団法人になったのでもうお金のことは私の手を離れることになりそうです。ホントによかった。

‐今まで運営費をどのように調達しましたか。
▲定期的に、1ヶ月あたりの会費があります。でもそれより遅刻罰金(5万ウォン)と欠席罰金(10万ウォン)からの儲け(?)が多いです。もう徹底して徴収しました。みんな忙しくて参加できないことが多いので、1度の罰金でかなりまとまった金額が入ったりします。でもみんな、毎回ちゃんと罰金を払ってくれます。(チャン)ジニョンさんの場合、『青燕』の海外ロケのため、罰金をたくさん出しました。

また、ボランティア団体らしく、会合も絶対高いレストランでは行いません。個人だったら良いところにも行けるけど、“タサモ”の集まりはそうはできないでしょう。安いお店を探し出して交渉し、そこでも写真を撮るとかして割引してもらいました。そうして会食代も節約して会費として入金しました。バザー会も開きます。

‐よく集まるのですか。
▲もちろんです。定期的な集まりは1ヶ月に1回で、非常時には1ヶ月に2回以上集まります。会議の時はブリーピングもするし、意見が合わないと大声でやりとりすることもあります。ジョンウンが会議に必要な資料をタイピングして持ってきます。そうそう、MT(メンバーシップ・トレーニングのこと。合宿)も2回ほど行ってきました。

‐最初はどのようにして意気投合しましたか
▲チャン・ドンゴン、チョン・ソンギョン、キム・ジョンウン、アン・ジェウクさんらが集まって話しをしてて、そこでみんなの気持ちが一つになったんです。最初は生活に苦しむ先輩俳優を助けようという趣旨でした。イ・ミギョン先輩の肺ガン闘病時も、原子力病院側と合意し、治療費を50%まで割り引きしてもらい、残りの全額を私達が払いました。芸能人たちは退職金も年金も無いじゃないですか。でも顔は知れ渡っているので、辛くても誰にも文句を言ったり相談したりできない様子がとても気の毒でした。苦しい先輩の病院費と、お子さんたちの学費を支払うために始まったのが、段々と色々な方面へのボランティア活動が増えていったんです。

‐どんなことをしてますか。
▲必ずしもお金でなくても、芸能人であるがゆえに私達が乗り出すだけで助けになる場合が多いです。例えば、青少年暴力防止対策委員会で年に1度、大学路(テハンノ)マロニエ公園で開催される“アップルデー 仲直りの日”というイベントがあります。去年は私が司会で、今年はチャ・テヒョンとイ・フンが担当しました。キム・ヒョジン、パク・ソニョンは小児ガン患者を助けながらやりがいを感じましたし、“ナヌムの家(元従軍慰安婦らが暮らしている家)”にも行きました。みんな初めは消極的でしたが、一度現場に行った後からは、とても積極的に活動します。各自の母校に奨学金を支援したりもします。

‐去る1日の出帆式の時、98%の出席率には驚きました。
▲会員一人一人に電話したり、携帯2機でメールを送ったりしました。返信も全てチェックしました。なにより会長(イ・ギョンホ放送演技者協会長)がとてもキビシイということもありますね。

‐ついに社団法人になりましたね。
▲社団法人許可が出るまでとても大変でした。今までソウル市庁社会福祉課に何度行ったかわかりません。それにやっているうち、欲がでてきました。良いことをもっともっとやりたくなったんです。

でも心配です。組織を仕立て上げておいて寄付してもらえなかったら、それでうやむやになってしまったら「それみろ、所詮は芸人」なんて言われるでしょう。私達はこの会を100年、200年続けて行きたいんです。だからこそ今回の出帆式を行いました。これまでは“右手のすることを左手に知らせるな”(聖書の言葉)の通り、控えめに活動してきました。しかし、これからは積極的に寄付金を誘致してこそ、良い行いがたくさんできると思います。

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