盧泰愚元大統領が死去、海外メディアの反応「最高の業績は対北外交=韓国報道」(画像提供:wowkorea)
盧泰愚元大統領が死去、海外メディアの反応「最高の業績は対北外交=韓国報道」(画像提供:wowkorea)
韓国のノ・テウ(盧泰愚)元大統領の死去について海外メディアも大きく取り上げた。海外メディアはノ・テウ元大統領のクーデターへの加担および裏金作りで裁判を受けたことを皮肉りながらも、共産圏との「北方政策」などの業績を残したと評価した。

25日(現地時間)、ロイター通信はノ・テウ元大統領が88歳でソウル大学病院で死去したと報じた。 ノ・テウ元大統領は2002年に前立腺がんの手術を受けた後、健康が悪化し、ここ数年間、入退院を繰り返していたという。

ロイター通信は「ノ・テウ元大統領はベトナム戦争で戦闘部隊司令官を務めた」とし「1979年、パク・チョンヒ(朴正熙)大統領が部下により暗殺されると、チョン・ドゥファン(全斗煥)元大統領が起こした軍部クーデターに参加し、新しい政府で主導的な役割を果たした」と説明した。

ブルームバーグ通信は1980年5月の光州事件に触れた。ブルームバーグは「1980年に光州で起きた民主化運動当時、少なくとも193人の反政府デモ隊が死亡した」とし「チョン・ドゥファン元大統領の右腕だったノ・テウ氏は流血軍事鎮圧と永遠に切り離すことはできない」と指摘した。

海外メディアは、ノ・テウ元大統領が軍部政権後初めて行われた直選制大統領選挙で当選した人物という点にも注目した。 ブルームバーグ通信は当時、チョン・ドゥファン元大統領がノ・テウ氏を後継者に決めると、国民が抵抗し、やむを得ず直選制を導入したと伝えた。 野党指導者キム・デジュン(金大中)氏とキム・ヨンサム(金泳三)氏が出馬したため、ノ・テウ元大統領が当選した点も説明した。

海外メディアは、ノ・テウ元大統領の北方外交について高く評価した。北方外交はノ・テウ元大統領の核心外交事業の一つで、自由陣営国家中心の外交から脱し、改革・開放路線の共産国家との関係改善を図ったものだ。北方外交の結果、韓国と北朝鮮は国際連合への同時加盟を果たすことができた。

日本メディアは、ノ・テウ元大統領の訪日当時の状況を振り返った。読売新聞は「ノ・テウ元大統領は1990年5月に日本を訪問した際には歴史問題をめぐる日本側の発言を要求した」とし「当時天皇は晩餐で『痛惜の念を禁じ得ない』と明らかにした」と伝えた。
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