「Secret」左からソナ、ジウン、ヒョソン、ジンガー
「Secret」左からソナ、ジウン、ヒョソン、ジンガー
【ライジングスター】来る8月3日に「Madonna」で日本デビューを飾ることが決定し、7月6日には東京で「Premium Debut LIVE」を開催する「Secret」、2番目の主人公は、ソロ活動も活発に行うソン・ジウン。(この記事は「Secret」ヒョソン【2】から続いています)

Secret の最新ニュースまとめ

<b>■学級委員長を務める模範生が芸能界を夢見る</b>
 ソン・ジウンは2009年12月「Fly To The Sky」のファニがプロデュースした初のソロアルバム「昨日は」を通し、ボーカリストとして歌唱力が認められている実力派。その実力にも劣らない純粋な魅力で、男性ファンの心を掴んでいる。

 「こんにちは、『Secret』のジウンです。よろしくお願いします」。ことし「Shy Boy」でK-POP界の頂点に上ったが、まだ「新人」として謙遜するジウンだった。どのような話からしていいのかわからずに悩んでいた彼女は、少しずつ自身の話を始めた。「両親は共働きだったため、幼少時代はおばさんに育てられ、IMF以降両親と過ごしました。そのため、わたしには母親が2人いるような感覚です。7歳からひとり家にいるのが日常でした」

 一人娘だったジウンは両親の大きな期待を受けて育った。子どもがよく育つようにと欲張るのはどんな親も同じだが、ジウンはそれが格別だった。「両親のわたしに対する期待がすごく、教育に多くの投資をしました。塾に8か所も通ったことがある程で、バイオリン、ピアノ、論述、数学などさまざまなことをしました」

 このようにジウンは、自然と看護師や客室乗務員などの専門知識が必要な職業を夢見るようになった。芸能人になる夢は一度も持ったことがなかったという。「当時、わたしも両親も芸能方面には関心がありませんでした。小学生のときは6年間、学級委員長を務める模範生でした(笑)。そんなわたしが歌手デビューしたことに、当時の友人らはみんな驚いています。それもそのはず、顔が赤くなるほど人前に立つのが苦手だったんです」

 学校の成績もずば抜けていた。体育以外は優秀な成績を収め、クラスで1位をとったこともある“できた娘”だった。「中学生のとき、進路で悩んだことがありました。歌が好きで、『S.E.S.』や『Fin.K.L(ピンクル)』先輩がテレビに出ているのを見ているうちに、『わたしもこうなりたい』という思いが芽生えました。しかし、『彼女たちのようにならなくては』と強く考えたことはありませんでした」

 しかしジウンは中学3年生のとき、進路についての調査で「歌手」という職業を選んだ。その理由はただ、勉強へのストレスと歌手への情熱を隠しきれなかったからだ。「友人らは勉強しながら遊ぶのですが、わたしは遊んだことがありませんでした。その思いからか思春期になると反抗心が出てきたのです。両親に、わたしがしたいことを見せたかったんです。中学1年生で一度、音楽の夢を捨てたのですが、急にその情熱が湧いてきました。内面に隠していた音楽に対する思いが爆発したのでしょう(笑)」

 ジウンはその情熱を隠さなかった。反対していた両親を背にアルバイトをし、音楽アカデミーに通い始めた。「音楽は学校に通えば当然学べるものだと思っていました。両親には数学の塾に通うと嘘をつき、近所のコンビニでアルバイトを始めました。もともと学生はアルバイトをしてはいけないのですが、近所だったので可能だったのかもしれません。そうして一月で70万ウォンを稼ぎ、40万ウォンを塾の費用に費やしました」

 分別のない反抗心と無謀な情熱で始めた音楽の勉強が、ジウンの人生を根こそぎ変えるとは、このときは誰も予想していなかった。

<b>■バンド活動、そしてボーカリストの誕生</b>
 音楽アカデミーに通っていたジウンは誰よりも過酷なトレーニングを自分自身に課していた。周囲からは「ものすごい練習の虫」と呼ばれるほどに。もちろん、優れた音楽的感覚もあったが、その根性は彼女をより強くさせた。ジウンがまだ中学校3年生のとき、ジウンの実力に目をかけていた先生が、彼女をボーカルトレーナーに抜てきした。「中学卒業前からアカデミーに通い始めました。通って3週間で先生から『補助教師をしてみないか』と言われたんです。まだ幼いという理由から断りましたが、結局年齢を偽りボーカルトレーナーになりました」

 しかし年齢を偽ることで予想していなかった「副作用」が発生した。「わたしよりも年上のお兄さん、お姉さんから『先生、これはどのようにしたらいいのでしょうか』と質問され、困りました(笑)。中学3年生でしたが、2~3歳上の先輩が敬語を使うことに、慣れなかったのです」。結局、罪悪感を覚えたジウンは実年齢を明かし、本格的に年上の生徒に発声を教え始めた。

 こうして学生と先生として忙しい日々を送っていたジウンに、歌手として初のチャンスが訪れた。イ・ジョンジェ、チェ・ジウ主演のMBCドラマ「エア・シティ」のOST(サントラ)に参加することだった。「アカデミーの院長先生が企画会社を運営していて、当時の実力が認められたわたしは、そこの練習生でもありました。以後、さまざまな方々との縁で『エア・シティ』のOST(サントラ)『Learning To Fly』を歌うことになったのです」

 ジウンはこのOST(サントラ)で歌手として本格デビューを果たした。当時の年齢はわずか17歳。音楽に対する欲が大きくなっていたジウンはアカデミーを辞め、より広い世界に出ることを望んだ。「高校1年生のときにアカデミーで出会った12人と意気投合し、『ブラウン・シティー』というバンドを結成しました。韓国の情緒に合った音楽をしようと作ったバンドです。当時、2週間に1度、弘大(ホンデ)のクラブで公演をし、実力を積み重ねていきました。一生懸命した甲斐もあり、ファンが3000人を超えていました」

 内向的だったジウンが「舞台体質」に変化していった時期がこのときだ。「個人的に最も実力が伸びた時期を挙げるとしたら、『ブラウン・シティー』として活動しているときだったと、自信を持って言えます。歌手として確実な一歩を踏むチャンスでした」

 そして、バンドのボーカルとして縦横無尽に活躍していたジウンに2度目のチャンスが訪れる。(記者:パク・コヌク)

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