【ソウル23日聯合ニュース】首相直属機関「対日抗争期の強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者など支援委員会」の鄭善太(チョン・ソンテ)委員長は、日本植民地時代に強制徴用された韓国人被害者の遺骨返還式のため5月に訪日した際、伊豆諸島の八丈島住民らから一通の手紙を受け取った。そこには、1944~1945年に八丈島の旧日本海軍飛行場(現・八丈島空港)滑走路工事に動員された韓国人徴用被害者を島に招待したいと記されていた。

 手紙を渡した岸田徹さん(68)は、「多くの韓国人が島に連れてこられ、飛行場建設中に亡くなった。わたしたちがやったことではないが、国の代わりに生存者の方に謝罪したくて招待する意向を伝えた」と説明した。旅費は住民らが負担するとことにしていた。

 ただ、招待に約8000人の八丈島住民全員が賛成したわけではない。先頭に立ったのは元町長の笹本直衛さんら一部で、住民数十人が賛成したと伝えられた。

 委員会によると、1944~1945年に250~500人の韓国人が八丈島の滑走路工事に動員されたと推定される。幼いころ、韓国人徴用者を目にしたことのある笹本さんは、昨年4月に住民らとともに韓国を訪れ、仁川、青陽、全州などで生存者の証言を集めた。

 最初は「何で日本人に会わなくてはならないのか」と不快な表情を隠さなかった被害者らは、繰り返し謝罪し、八丈島旅行に招待する笹本さんらを見て次第に心を開き始めた。「八丈島だけでなく、宮城県、静岡県などで強制労働を強いられた。八丈島は水がおいしく、住民らも親切だった」(全州在住の84歳男性)など、日本人に好意的な証言も出た。

 笹本さんらは、5月に鄭委員長を通じ、被害者らを正式に招待。委員会は先月初め、訪日の意向を確認するため5人に連絡を取った。だが、旅行への招待は遅すぎた。このうち88歳の男性は昨年亡くなっており、85歳の男性は電話すら厳しいほど健康状態が悪かった。残る3人も「行きたいが健康状態が良くない」と断ってきた。

 委員会は岸田さんにあてた返信で、こうした事情を説明した上で、「皆さんの情熱と関心は60年間被害者が抱えていた恨みを少しなりとも慰めることができるだろう」と伝えた。

 被害者の招待は実現しなかったが、岸田さんらは八丈島に歴史の記録を記した碑石を建てる運動を展開する計画だという。


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