映画『私たちの生涯最高の瞬間』の封切りまであとわずか、主演女優キム・ジョンウンの表情も明るく見える。抱えていた一抹の不安は、試写会以降、注がれる賞賛に少しずつ自信感に変わっていった。

ムン・ソリ の最新ニュースまとめ

映画『大変な結婚』、ドラマ『パリの恋人』など、キム・ジョンウンの代表作は多分に商業的だった。そんな彼女が2005年にチョン・ジウ監督作品『親知らず(原題)』に主演したのを機に、何かもっと深みを身につけたい、変化したいという欲を見せるようになった。今回のイム・スンレ監督との作業は、そうした点で大きな意味を持つものだ。1996年にMBCのオーディションを経てデビュー。女優生活10年、年齢も30歳を超え、「今、私の女優としての第2幕が上がったのだと思います」と語る。



『私たちの~』では、ハンドボール五輪代表チームに監督として招かれたはずが監督代表に追いやられ、やがて金メダルを目指し選手として復帰するキム・ヘギョンを演じる。かつての恋人であり監督として赴任するアン・スンピルとぶつかりながらも、ミスク(ムン・ソリ)とともにチームのまとめ役となるヘギョンは、監督にも後輩にも、そして自分に対しても常に鋭い声を上げる人物だ。しかし実際のキム・ジョンウンは、本人いわく「言葉に笑いのジャムを塗ったような」女性らしく柔らかい声がトレードマーク。まず発声法が関門となった。

「隣に住んでいる漢陽大学演劇映画学科のチェ・ヒョンイン教授が、私がこの映画に出演することを知って“どうするつもり?早く台本を持って来なさい”と声をかけてくださったんです。こちらから助けを請うのは申し訳ないし責任感もないようで迷っていたら、教授が先におっしゃって下さったので、どれほどありがたかったか」と振り返る。クランクインまで教授とともに発声トレーニングを重ねた。頼もしい援軍の崔教授はヘギョンの母親として友情出演している。

低予算で、単独主演でもない。そんな映画に、なぜスター女優の彼女が出演を決めたのだろうか。そう尋ねると、自分にはロマンのような監督が何人かいて、イム・スンレ監督がその1人なのだと打ち明けた。「『ワイキキ・ブラザーズ』『スリーフレンズ』は映画ファンに熱い感動を与えたけれど、商業的には成功できなかったでしょう。イム・スンレ、ムン・ソリとキム・ジョンウンという名前は、何かマッチしないようではあるけれど、その方たちが私に手を差しのべてくれて、ちょうど何か変化を求めてそちらの方向を見ていた私も手を伸ばしていたということです。うまくいけばどちらにとっても本当に良いことじゃないですか」

商業映画の女優というイメージのキム・ジョンウンが出演するということだけで、『私たちの~』は、イム・スンレ監督作品という上になじみの薄いハンドボール映画ではあるが、商業作品としてのアピールに、特別な説明は必要なかった。『親知らず』で初めて、商業作品とは異なる路線への挑戦を試みたキム・ジョンウン。多くの人に見てもらうことはできなかったが、可能性がみえると評価されたことに感謝しているという。今作品への出演で、改めて努力する姿勢を見せたかった。これでもう少し、より多くの人にアピールできたではないかと話す。芸能人に対し時には熱烈な支持を送り、時には過酷なむちを打つ大衆の価値を誰よりも知っているからこそ、作品性を認められると同時に、興行に成功することも必要だと考える。

「分かりにくい芸術映画よりも、しっかり作られた大衆映画のほうがずっとすばらしいと思うんです。皆と共感できる部分があってこそ力になる。ムン・ソリさんがドラマに出演して大衆との親近感を深めたように、私みたいな女優がイム監督の作品に出演したら、観客は喜んでくれるんじゃないでしょうか」
イム・スンレ監督の作品について、キム・ジョンウンはこう語る。「涙を流しているのに笑っている不思議な現象、けれどもそれが日常的なことであって、そんな感情を引き出すことに卓越している」と。父親が死んで悲しんでいても、ある瞬間には花札をしたり、食事を取って、笑ったりと、人生とはただ泣いているばかりでも笑っているばかりでもない。「これから笑わせますよ、泣かせますよ、ということもなく、そんな感情を全部混ぜ合わせて表現する」のだという。

女優キム・ジョンウンはますます深みと広さを身につけている。「長所を見せているばかりでは、大衆に飽きられる前に自分が飽きてしまいそう」と言う彼女が、どんな女優人生第2幕を見せてくれるのか、楽しみだ。

Copyright 2008(C)YONHAPNEWS. All rights reserved.

Copyright 2007(C)YONHAPNEWS. All rights reserved. 0