3月に行われたコンサートで熱唱するRain=(聯合)
3月に行われたコンサートで熱唱するRain=(聯合)
人気歌手で俳優としても活躍しているRain(ピ)が、韓国人歌手としては初めてとなる東京ドーム公演を25日に控え、24日に東京ドームホテルで記者会見を行った。この公演は<RAIN’S COMING 06/07 RAIN WORLD TOUR>と題して世界中で展開しているワールドツアーの日本公演となる。
以下は一問一答。

Rain(ピ) の最新ニュースまとめ

―4万席以上の東京ドームで公演するご感想は?
「中国・北京では4万人の観衆を前に公演を行ってきました。しかし日本のプロダクションが十分にできるとして提案してきたときは怖かったです。東京ドームで公演できる日本人歌手も多くないと聞いています。客席の半分もいっぱいにならないケースもありプレッシャーを感じますが、現在のチケット販売状況を聞くと良いスコアのようです」

―スタジアムでの公演で最も気を使うことは?
「いつも音響に非常に気を使ってますね。音響が良くなければ楽しく感じられないですから。いつも一番最初にステージの前・後・横で音響をチェックしてます。その後でビジュアルや特殊効果もチェックしてますよ」

―今公演で「これがRainだ」と前面に出すものがありますか。
「ほほ笑みが必殺技です―というのは冗談ですが(笑)。 リハーサルでは本番のように、公演ではリハーサルのように余裕を持って行うのが武器です。米国と日本の音楽業界関係者も見に来ますが、韓国の美学とアメリカンスタイルをミックスしたステージを見せたいですね」

―ワールドツアー開始後、最も成長した部分は。
「ステージの上で自分の姿が補強され、ライブショーがどんなものかノウハウを得ました。米国に進出する前にツアーを開始することはファンとの約束でもあり自分の短所をカバーできる試験台だと考えます。ワールドツアーを行い解決したことも困難なこともありましたが、人生の勉強をたくさん積んだと思います」

―豪州のシドニー公演は成功したとは言えない面もあったようですが。
「大規模なツアーので、どこかで試行錯誤があったと思います。シドニー公演はスタッフとのコミュニケーションではなく、第三者とのコミュニケーションがうまくいかず、その面で心を痛めました」

―ハリウッド映画『スピード・レーサー』の出演背景と感想は。
「夢のようです。今月末にドイツ・ベルリンに向かいハリウッド俳優らと記者会見を開きます。制作陣は俳優にも伝えていない秘密が多いです。“今日はここまで伝え、次回はどこまで伝える”というように。監督を務めるウォシャウスキー兄弟と会いましたが、まるで夢のような時間でした。彼らが手がけた『マトリックス』にはとても憧れています」

―映画『サイボーグでも大丈夫』に出演したが、ご自身のどんな点がハリウッド進出を可能にしたと思いますか。
「初めて映画に出演したのは、映画界で認められたかったからです。運良く初映画で主演を任され、パク・チャヌク監督が手がけた同作に出演した後には多くの方が自分を認めてくれ、良いシナリオがたくさん入ってきました。『スピード・レーサー』に出演を決める前、良いシナリオが2編あり悩みました。『スピード・レーサー』では主演ではなく、ストーリーのカギを握る重要な役を演じます。欲ばらずに新人の気持ちで助演から始めていき、大きな木になりたいです」

―所属先JYPエンターテイメントとの契約が11日で満了し、所属事務所から移籍されるのか、会社を直接運営するのか分かりませんが、今は1人で切り抜けていかねばならず、寂しくはありませんか。
「(所属先JYPエンターテイメントの設立者)パク・チニョン先輩が自分に自立心を育ててくれました。“やりたいことをたくさんやれ”とも話してくれました。パク先輩は自分のために自身の半分をくれました。(契約終了を)パク先輩との完全な離別と見るのは性急な判断だと思います」

―米国ケーブルテレビのコメディが『太陽を避ける方法』を歌ったRainを風刺しましたが。
「自分はそれも感動的だと感謝しています。英語を勉強するために見ていた番組ですが、自分が出てきたので驚きましたよ。マドンナやマイケル・ジャクソンなど最高のスターらが好評・酷評を受ける人気プログラムですから。『太陽を避ける方法』は国内でも多くのタレントがパロディを作ってます。こういうのはシンドロームじゃないですか(笑)」

―パク・チニョン氏のもとで歌ってきましたが、直接CDをプロデュースしたいお気持ちは?
「家に箱が1つあります。幼いころバスと地下鉄に乗り、バスのつり革や杖をついたおばあさんなどを見て書き溜めたコンセプトノートが詰まっています。自分の記録をいつかは使っていきたいですね。自信が出てきたらプロデューサーもしてみたいですし」

―1か月に数カ国を回るわけですが、健康状態は?
「自分の体は自分のものではなく、多くの方が命をかけており倒れることはできません。困難が近づいたときは本当に大変にもなります」

―自身との戦いにどのように打ち勝ちますか。
「歌手になったのはお金がなく、空腹から抜け出したかったためです。母親が病院に通うお金がないほど貧しい自分がいやになりました。ステージで息がつまり胸が張り裂けそうになっても“お母さんの苦痛よりも今の自分はまし”と考えてます。スタッフとファンからも多くの力をもらっています」

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