ノ・テウ(盧泰愚)元大統領とチョン・ドゥファン(全斗煥)元大統領(画像提供:wowkorea)
ノ・テウ(盧泰愚)元大統領とチョン・ドゥファン(全斗煥)元大統領(画像提供:wowkorea)
先月26日に88歳で死去した韓国のノ・テウ(盧泰愚)元大統領の葬儀。国葬に当たる「国家葬」で30日まで執り行われた。

ノ元大統領は1988年に第13代大統領に就任。韓国で初開催となった同年のソウル五輪の組織委員長としてオリンピック開催を成功させたほか、南北の緊張緩和にも尽力した。また、社会主義国との関係正常化を図る「北方外交」を推進し、旧ソビエト連邦や中国との国交正常化を実現させた。

一方、退任後は在職中の収賄が発覚し逮捕された。1979年のクーデターや、民主化を求める市民に軍が発砲し、多くの死傷者を出した1980年のクァンジュ(光州)事件の責任も問われた。内乱罪などで懲役17年が確定し1997年に服役するも同年に特赦で釈放された。

韓国のキム・ブギョム(金富謙)首相は27日、「政府は今回の葬儀を国家葬で行い、国民と共に故人の業績を称え、礼遇に万全を期す」と述べた。葬儀は5日葬で26~30日まで行われ、30日には告別式と埋葬式が営まれた。

国家葬とは、国や社会に著しい勲功を残し、国民にあがめ慕われている人物が逝去した際に行われる、最高礼遇の国家祭礼。「国家葬法」では、元大統領や現職大統領、国家社会に著しい勲功を残した人物を対象として規定している。

かつて国家葬は「国葬」と「国民葬」に分かれており、暗殺されたパク・チョンヒ(朴正熙)、病死のキム・デジュン(金大中)元大統領は国葬、自殺のノ・ムヒョン(盧武鉉)、病死のチェ・ギュハ(崔圭夏)元大統領とパク・チョンヒ元大統領の在職中に北朝鮮により暗殺された妻ユク・ヨンス(陸英修)夫人の葬儀は国民葬で行われた。国葬の期間は9日間であるのに対し、国民葬は7日以内で、国葬の方が格が高かった。

当時の法律は国葬と国民葬の対象を厳格に規定しておらず、「国葬と国民葬の区別は、不必要な社会的確執を誘発させかねない」との指摘が上がり、韓国政府は2011年に法改正。国葬と国民葬を「国家葬」に統合した。

国家葬は5日以内とし、費用は国が負担する。国家葬が行われるのは2015年のキム・ヨンサム元大統領の葬儀以来2回目だが、今回のノ元大統領が生前、懲役刑を宣告されたことなどから、国家葬には反対の声も上がった。クァンジュ事件の起きたクァンジュ市など、弔旗掲揚を拒否した自治体もあった。

韓国紙・ハンギョレ新聞によると、クァンジュ事件の遺族らで構成する「5・18(光州)民主有功者遺族会」のキム・ヨンフン会長は同紙の電話取材に「我々遺族はチョン・ドゥファン(全斗煥)だけでなく、ノ・テウ政権下でも多くの弾圧を受け、依然として当時の苦しみを覚えている」と答えた。

チョン元大統領とノ元大統領は共にクァンジュ事件の責任を問われている。キム会長はまた、「ノ氏は内乱罪に問われ最高裁判所で有罪が確定したのに国家葬と国立墓地への埋葬はあり得ない。政府がこうした決定をしたことは遺憾だ」と述べた。

刑が確定した者は国立墓地に埋葬できないとの関連法で定められているため、国立墓地への埋葬は実際、行われなかった。一方、韓国政府は「実刑の前歴は、国家葬の欠格事由にはならない」と説明。予定通り国家葬として執り行われた。

現在、ノ元大統領の親友であり、1979年の粛軍クーデターの主役チョン元大統領は90歳。クァンジュ事件の発生はチョン元大統領やノ元大統領の責任だとしている革新系の政治勢力は、国歌葬の資格も剥奪すべきだと主張している。

革新系の執権与党の次期大統領候補イ・ジェミョン(李在明)氏は、チョン元大統領の名前が書かれている功績碑を踏みつけるパフォーマンスを見せた。

それに比べ、保守系の最大野党の次期大統領候補になりつつあるユン・ソクヨル(尹錫悦、ユン・ソンニョル)氏は、「チョン・ドゥファン(全斗煥)元大統領は、軍事クーデターと5・18(光州事件)だけを除くと、まさに政治が上手かったという人が多い」と発言し、謝罪を強いられたものの保守系の支持を得ている。

長い風水・陰陽地理の伝統もあり、死後の埋葬地・お墓を「陰宅」と呼んできた朝鮮半島。その「陰宅」が死後の冥福を左右するとされてきた。時には政敵の死後に政権を取ると、その政敵の「陰宅」を破壊する破墓を行い、死骸に刑罰を下す「剖棺斬屍(ぼうかんざんし)」までもが行われてきた。

日本の半島統治時代の協力者に対して「親日破墓法」を主張する勢力が未だに存在することでも分かるように、「国家葬」をめぐる論争は簡単には落ち着かなさそうだ。

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