この「ネロナムブル(自ロ他不)」と言うのが韓国で通用する。日本はそのような韓国の実情を理解しない。(画像提供:wowkorea)
この「ネロナムブル(自ロ他不)」と言うのが韓国で通用する。日本はそのような韓国の実情を理解しない。(画像提供:wowkorea)
韓国と日本、両国で住んでいたり、日韓関係の仕事に関わったりすると、日本人・韓国人を問わず、「どっちが好きなのですか?」と問われて当惑する事が多々ある。

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 ただ、ここ数年、韓国では「韓国の嫌いな所(問題点)って何ですか?」と聞かれる事が多くなった。これには「ネロナムブルの蔓延」と答える。この言葉は、苦笑しつつ質問した韓国人さえも認める韓国の問題なのだ。

 「ネロナムブル」とは「自分がやればロマンス、他人がやれば不倫」と言う、二重基準・言行不一致を意味する慣用表現・比喩表現を「四字熟語」化したものである。無理やり日本語訳にすると「自ロ他不」になりそうだ。

 ここ数年、韓国のクオリティ・ペーパー等でも説明や解説無しで常用される程、多用されている。正直集団間(政党間、指導者間、支持者間)の対立が多発している韓国の実情を考えると、「ネ(私)」より、「ウリ(私達)」の方が適切な気がしないでもないが、言語の専門家でもないし、慣用表現・比喩表現なので問うまい。

 特に“タマネギ男”チョ・グク(曹国)・“タマネギ女”チュ・ミエ(秋美愛)の二人の法相らの疑惑でこの言葉が更に流行っている。脱税疑惑、子弟の兵役問題や受験不正疑惑、不透明な資産形成等々、そもそも現在の革新政権・革新与党が長年保守勢力を「非理」「不道徳」として非難して来た行為そのものであるからだ。

 そして2人の法相と検察総長を始めとした検事らとの対立にも使われている。法治と法の支配を強調して、「人(法相の人治)」でなく「法(法治)」にのみ従うと強調する検察総長に対して、政権が疑惑を提起しているからだ。

 こうした様相を見ると、韓国入門書として古典となった『韓国は一個の哲学である 〈理〉と〈気〉の社会システム』や『韓国人のしくみ 〈理〉と〈気〉で読み解く文化と社会』を思い出す。

 この本の著者であり2000年代の韓流ブームの立役者の一人にしてNHK韓国語講座講師であった小倉紀蔵氏は「韓国・韓国人は(言説、価値、他者への評価において)道徳志向であるが、道徳的か如何かとは無関係である」と解釈していた。

 つまり、他人の行動やその言説について、道徳的な正邪を論じて、相手を「邪」と看做してマウンティングすると言うのだ。その際、自身の道徳的な正邪を全く等閑視していても、何ら躊躇しないと言うのが特徴とのこと。

 こうした視点から見ると、国内に留まるものではない。日本に対して朝鮮半島支配とその後遺症、慰安婦や徴用工問題等の戦前問題として、また戦後日韓関係においても日本の対韓姿勢を厳しく非難し、日本からはその多くが根拠無き「反日」としか言いようのない言動を展開している。

 しかし、一方でベトナム戦争についての韓国の姿勢や行動、またベトナムのみでなく、戦後東南アジアにおいて振舞って来た言動については、全く別基準で判断しているのは、有名な話だ。

 特に先日、ベトナム戦争時の韓国軍の虐殺や強姦事件について、目撃者や体験者らが韓国において訴訟をした際、証拠不十分とか、北ベトナム・ベトコンの違法行為が先立って発生していたとか、目撃や体験は証拠にはならないとか、堂々と韓国政府も参戦軍人らも主張して反論していて、それを裁判所も認めた。

 ところが日本に対しては、慰安婦問題や徴用・労働動員等を巡って、目撃や体験談を「歴史」「生き証人」「生きた物証」として採用する一方で、現行憲法では日本の朝鮮半島支配の違法性・不当性(邪悪性)を前提としないものは条約・国際法であっても認めないと言う、宣戦布告に等しい判決を下した。

 自身の道徳的な正邪を全く等閑視していても、同じ行為や言動をした他人を攻撃するのに何ら躊躇しないこと。この「ネロナムブル(自ロ他不)」と言うのが韓国で通用する限り、日本がそのような韓国の実情を理解しない限り、日韓関係の回復は当分、見えてこないはずである。
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