核実験場の廃棄の様子=(北朝鮮・朝鮮中央通信=聯合ニュース)
核実験場の廃棄の様子=(北朝鮮・朝鮮中央通信=聯合ニュース)
【豊渓里(共同取材団)、ソウル聯合ニュース】北朝鮮は24日、北東部の咸鏡北道吉州郡豊渓里にある核実験場の廃棄行事を取材するため現地を訪れた韓国と米国、中国、ロシア、英国のメディアに、爆破を予定する2、3、4番の三つの坑道入り口と内部の一部を公開した。豊渓里の核実験場は、北朝鮮が2006年10月の最初の核実験から17年9月まで計6回の核実験を実施した場所だ。この核実験場の坑道が、一部ながらも国際社会の前に姿を現した。 5カ国の記者団は午前8時19分、坑道の入り口に到着した。まず、北朝鮮・核兵器研究所のカン・ギョンホ副所長から30分ほど説明を受けた。カン氏は「準備用の坑道である南側(3番坑道)と西側(4番坑道)は、これまでに行った核実験によりわずかな被害も受けず、今までしっかり保存されている」と述べた。 それから北側にある2番坑道を見学した。2回目から6回目までの核実験が行われた坑道で、豊渓里の核実験場の中心といえる。 北朝鮮関係者は記者団に安全帽を配り、救急箱を持つ医療関係者も同行した。放射線被ばくを懸念する記者団の問いには、「何の問題もない」と答えるだけだった。 2番坑道は幅2メートル、高さ2.5メートルで、坑道の前には北朝鮮兵士が立っていた。アーチ型の厚い鉄門を開くと、地面には砂利が敷き詰められていた。坑道の中は暗かった。 入り口から2メートルほど進むと、爆薬が設置されているのが見えた。坑道は約5メートルの地点で行き止まりだった。これに関し北朝鮮関係者は「もともとは先まで通じていたのをふさいだ」と説明した。 記者団は続いて西側の4番坑道に立ち入った。この坑道は掘削を一時中止した後、昨年10月から再開したもので、北朝鮮にとって「未来の核」に向け活用可能な施設とされていた。 扉は木製で、内部も壁面から天井まで木材でできていた。坑道は20メートルほどで行き止まりだった。通路には爆薬の線がクモの巣のように張り巡らされていた、北朝鮮関係者は爆破方法について「内部から爆破した後、入り口を最後に爆破して完全にふさぐ」と説明した。 4番坑道の向かい側には、2番坑道の工事により外に運び出された石などが7~8メートル程度の高さに積み上げられていた。 2番と4番坑道を見終えると、2番坑道の爆破が進められた。 「撮影の準備はできたか」「準備できた」「注意」「3、2、1」といったやり取りと掛け声の後、爆破された。核実験場を取り囲む万塔山を揺るがすような重々しいごう音と共に、坑道の入り口にある土砂と崩れた岩が飛び散った。入り口付近の最初の爆音に続き、中側で2回程ほど爆音が響いた。 核兵器研究所の関係者は「午前に予定していた北側坑道の入り口と観測所の爆破が成功裏に終わった」とし、「専門家によれば爆発は成功した。坑道の入り口は完全にふさがれた」と述べた。別の関係者は「壁にダイナマイトを仕掛けて崩れるようにした。計八つの爆薬を埋め込んだ」と説明した。 2番坑道が爆破された直後、一部の記者たちが坑道に近寄った。崩れた土砂と岩のかけらにより、入り口は完全に封鎖された状態だった。すぐそばの観測所も扉の枠など一部を残すだけで、木材のかけらが散らばっていた。ただ、その後ろにある、記者団のために設置したというトイレは無事だった。 記者団は昼食を終え、3番坑道へと移動した。北朝鮮関係者は「3番坑道は2番坑道で核実験をしても健在だった。一番丈夫で大きい。もっと大きな爆発にも耐えられるほど丈夫だ」と説明した。 薄い鉄門を開いて中に入ると、20センチの厚さの壁になっており、土と砂利でできた床には爆薬のケーブルが見えた。 坑道入り口の上の方には木材でできた観測所があったが、窓と扉が閉まっていたため内部をうかがうことはできなかった。 同行した北朝鮮メディアの関係者は韓国記者団に、3番坑道前を流れる小川の水を飲んでみるよう勧めた。おいしく、放射能汚染の心配はないと話した。 その前の昼食時間にも、軍の営舎にかかるツバメの巣に記者団が関心を見せると、北朝鮮関係者は「それだけ放射能がないということだ。アリも放射能に敏感だが、(ここには)たくさんいる」と、繰り返し安全性を強調した。 核兵器研究所のカン副所長は記者団への説明で、3番坑道を「南側の坑道は二股の坑道になっている。核実験などを行えるよう万全の準備ができた坑道」と紹介。4番坑道に関しては「西側の坑道は威力が非常に大きい核実験を安全に進められるよう、特別に準備した坑道」と述べた。また、「これまでの測定資料によると、放射性物質の流出はまったくなく、周辺の生態環境もとてもきれいだ」と強調した。 坑道の爆破方法については、「坑道内部のいくつかの場所を爆破して崩落させ、坑道の入り口もやはり爆破させる」と説明した。 これは北朝鮮が核実験場の廃棄に、坑道入り口だけでなく内部まで爆破させる方法を取ったことを示すもといえる。ただ、爆破の過程で坑道上部はラインを保ったままで、入り口周辺だけが崩れ落ちた。正確に判断するには、さらに分析が必要とみられる。 この日、1回目の核実験を行った1番坑道の廃棄は行われなかった。北朝鮮関係者は「2006年の1回目核実験後にほとんど崩れ、なくした(閉鎖した)」と説明した。 記者団は前日に東部の元山駅から列車で約11時間移動し、24日午前6時15分に載徳駅に到着。7時17分にバンに乗り込み、21キロ先の核実験場を目指した。 車内から望む風景は樹木が生い茂り美しかったが、6分ほど走ったところで軍の見張りが見えると、一気に緊張が高まった。白く塗られた建物がちらりと見えたが、誰かいる様子ではなかった。
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