91年の世界卓球選手権大会でダブルスを組んだ玄静和(手前)、李芬姫選手(資料写真)=(聯合ニュース)
91年の世界卓球選手権大会でダブルスを組んだ玄静和(手前)、李芬姫選手(資料写真)=(聯合ニュース)
【ソウル聯合ニュース】南北分断の歴史の中で、スポーツは南北朝鮮が一つになる貴重な場だった。 分断の壁を越えてもたらされた感動の瞬間は、南北間の選手だけでなく観戦する国民にも感涙を流させた。 1991年4月、千葉県で行われた世界卓球選手権大会で南北合同チームが生んだドラマは、南北スポーツ交流が残した感動の瞬間の中でも筆頭に挙げられる。 「コリア」の名の下に団結した合同チームの選手は、韓国の玄静和(ヒョン・ジョンファ、現大韓卓球協会副会長)と北朝鮮の李芬姫(リ・ブンヒ)、ユ・スンボクなどが出場した女子団体戦で、当時9連覇を狙う世界最強の中国を下して優勝をつかみ取った。 最初はぎこちなかった南北の選手が合同訓練を経て頼もしいチームメートになり、ついに世界トップに上り詰めた瞬間、選手はもちろん関係者や在日同胞の応援団も互いに抱き合って涙を流した。 しかし、分断の現実は喜びの涙だけでなく悲しみの涙も生み出した。1カ月半苦楽を共にした南北選手団の別れの光景は、多くの人の胸を締め付けた。 玄副会長は2012年に行った講演で、北朝鮮選手団との別れを思い出し「『電話番号を教えて』『近いうちに会おう』という話もできない別れだった」とやるせない心情を語った。 南北合同チームの選手たちの切ないストーリーは、その後、「ハナ 奇跡の46日間」という映画にもなった。 00年のシドニー五輪で初めて実現した南北の合同入場行進も、南北スポーツ交流史において外せない感動的瞬間だった。9月15日のシドニー五輪開幕式で、南北選手団180人は朝鮮半島が描かれた「統一旗」を手に入場し、約12万人の観衆は総立ちで拍手を送った。 離れ離れになった南と北の家族が国際スポーツ大会の舞台で短い再会を果たし、分断の不条理と別れの痛みを実感させもした。 1964年10月の北朝鮮の陸上選手、辛今丹(シン・グムダン)氏と、韓国に住む父の辛文濬(シン・ムンジュン)氏の東京での対面は、朝鮮戦争などで生き別れになった南北離散家族の初めての再会として記録されている。 当時、東京五輪に参加するために日本に入国した辛今丹氏は、五輪出場を拒否され北朝鮮に戻る直前に父と劇的に再会した。14年ぶりに会った父娘に与えられたのは、10分ほどの短い時間だった。 71年には朝鮮戦争当時に韓国に渡った韓弼聖(ハン・ピルソン)氏と、北朝鮮のスケート選手として日本を訪問した妹の韓弼花(ハン・ピルファ)氏が国際電話で話したことがメディアに報じられ、国民の涙を誘った。90年に弼花氏が北朝鮮スケート協会の幹部として札幌冬季アジア大会に参加するため日本を訪れた際、2人はようやく再会することができた。
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