【ソウル聯合ニュース】韓国とイランは1962年に国交を樹立して以来、戦争や制裁などで関係が一時疎遠になったことはあるものの、全般的に協力関係を維持してきた。 国交樹立から5年後の67年にはイランに韓国大使館が、75年には韓国にイラン大使館がそれぞれ開設された。79年のイラン革命までに建設作業員や看護師など2万人余りの韓国人がイランに向かい、関係発展の基盤を固めた。 77年には両国の首都が姉妹提携を結び、友好のあかしとしてソウルに「テヘラン路」を、テヘランに「ソウル路」をそれぞれ設けた。 イラン・イラク戦争(80~88年)の際、イランが北朝鮮から多額の兵器を輸入した影響で、両国関係はやや遠ざかった。だがこうした悪材料にもかかわらず、韓国の労働者はイランに残り、工事現場で汗を流し続けた。戦争が終わり、89年に両国関係が正常化すると、韓国企業はイランの戦後復興事業や経済開発事業に積極的に加わった。 建設・貿易分野の発展を追い風に、両国関係は2000年代初めに多方面で最高潮に達した。韓国とイランは石油、自動車、機械類、家電製品、建設、造船などを中心に年間貿易額が100億ドル(現在のレートで約1兆900億円)を超える重要な貿易パートナーになった。貿易額は11年には174億ドルに達した。 また、02年の国交樹立40年を機に、テヘランに「韓国広場」(02年)と「ソウル公園」(03年)も誕生した。 06年、そんな両国の友好関係に亀裂が生じた。欧米諸国とイスラエルがイランの核開発疑惑を提起し、国連安全保障理事会中心の経済制裁が具体化したためだ。北朝鮮核問題に直面している韓国としては、米国をはじめとする国際社会の対イラン制裁に賛同せざるを得なかった。 韓国が10年に制裁に加わり、翌年に追加制裁に乗り出すと、高官クラスの交流が減るなど両国関係はややぎくしゃくした。だがイラン・イラク戦争の時と同様、10年に及ぶ国際社会の制裁の中でも両国は交流を完全に絶やすことはなかった。13社の韓国企業がイランに残った。 韓国の対イラン輸出額は12年以降、減少傾向だったものの、13年が44億8000万ドル、14年が41億6000万ドル、15年が37億6000万ドルと一定の水準を維持した。石油を中心とするイランからの輸入額は13年が55億6000万ドル、14年が45億8000万ドル、15年が23億6000万ドルとなっている。 制裁によりドル建て決済での取引が難しくなると、韓国のウリィ銀行と中小企業銀行(IBK)はイラン中央銀行名義のウォン建て口座を開設し、両国間の貿易代金をウォンで決済できるようにした。 今年に入り制裁が解除されると、両行は本店に対イラン貿易・投資の支援窓口を設置。ノウハウを生かして同国進出を目指す企業のサポートを行っている。 stomo@yna.co.kr
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