【ソウル聯合ニュース】「私はその時、13歳の世間知らずの子供でした。私の故郷の平壌を遊び場にして、あちこち鳥のように飛び回りました。ある日工場に就職させてくれるという見知らぬ人について行きました。お父さんの監獄の罰金10ウォンを稼ぎたくて。その道がどれほど辛く、死よりひどい人生につながるだろうと誰が知っていたのだろうか。13歳の幼い年では耐えるのが難しすぎ、平壌にいる母に聞こえることを願い、『お母さん、お母さん』と大声を出して泣きました」 13歳の時に中国にある旧日本軍の慰安所に連れて行かれた吉元玉(キル・ウォンオク)さんが昨年8月14日に世界の旧日本軍慰安婦を追慕する行事で朗読した詩、「平和が舞う、統一だ」の一部だ。今も国内外で日本に対し賠償と謝罪を求める吉さんの叫びは続く。 今年で光復(日本による植民地支配からの解放)70周年、韓日国交正常化50周年を迎えるが、韓国人の苦痛の象徴である慰安婦被害者の恨みの声は止まる兆しが見えない。 慰安婦被害者の多くは第2次世界大戦末期に被害に遭った。仕事を与えるという言葉にだまされたり、トラックに乗せられたりして、日本や中国、東南アジア、南太平洋の島にある慰安所に動員された。◇残り少ない生存者 「私の青春を根こそぎ奪われた。死ぬ前に必ず安倍首相が謝るのを見たい」 戦場で生き残り、終戦後に故郷に戻った少女に残されていたのは社会の視線と貧困、各種の病気しかなかった。だが、彼女らは勇気を出して日本の蛮行を告発した。世界各国を回り、旧日本軍の戦争犯罪を広める「生き証人」の役割も果たしている。 慰安婦被害者の李容洙(イ・ヨンス)さんと金君子(キム・グンジャ)さん、は2007年に米下院の公聴会で自らの体験を証言し、日本政府に公式謝罪を求める決議の採択につながった。 韓国政府に登録されている慰安婦被害者は238人。生存者は47人で、80~90代の高齢になった。◇23年続く「水曜集会」 終わらせたい叫び 「日本政府は慰安婦犯罪を認め被害者に法的賠償をしろ。謝罪しろ、謝罪しろ、謝罪しろ」 旧日本軍慰安婦問題の解決を目指し、市民団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」が毎週水曜日にソウルの日本大使館前で開催している「水曜集会」は1992年1月8日、当時の宮沢喜一首相の来韓を機に始まった。 周囲の目を気にして第1回集会に参加できなかった元慰安婦は、92年2月26日の第7回集会から参加し、日本が恥ずべき歴史を世の中に訴え続けている。 集会が1000回を迎えた11年12月には、日本大使館前に慰安婦の少女を形象化した平和碑が建立され、集会が開かれる道路は「平和路」と名付けられた。 水曜集会には日本の市民もたびたび参加し、慰安婦被害者に謝罪している。昨年10月の集会時には旧日本軍に志願入隊し、特攻隊員になった牧師が、過去の日本の暴力を許してほしいと自筆の手紙を送ってきた。 yugiri@yna.co.kr
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