リッパート駐韓米大使襲ったキム・ギジョンとは…過去に日本大使襲撃も。(news1)
リッパート駐韓米大使襲ったキム・ギジョンとは…過去に日本大使襲撃も。(news1)
リッパート駐韓米大使が5日午前7時42分ごろ、ソウル・鍾路区(チョンノグ)・世宗路(セジョンノ)世宗文化会館1階世宗ホール内で、凶器を持ったキム・ギジョン容疑者(55)に襲われ大けがを負った。リッパート駐韓米大使は顔の右頬、左手首などを切られ、現在、江北(カンブク)サムスン病院で治療を受けているが、命に別条ないことが伝えられた。

 そんな中、犯人であるキム・ギジョン容疑者に関心が集まっている。同容疑者は現場で取り押さえられる過程で右足首を骨折した。現在、鍾路警察署で調査を受けている。容疑者は「戦争訓練反対」と叫んでいたこともわかっている。

 文化運動団体「ウリマダン」の代表幹事であるキム・ギジョンは1959年、韓国・全羅南道で生まれ、1978年に光州(クァンジュ)クムホ高等学校を、1984年に成均館(ソンギュングァン)大法学部を卒業し、「ウリマダン」を設立。左翼文化運動家として活動した。以後、1995年に統一政策大学院で「韓国社会統一文化運動の課題」を主題として修士学位を取得し、1997~2007年、聖公会(ソンゴンフェ)大外来教授として在職した。

 キム・ギジョンは「ウリマダン」のブログの紹介文で「dislikes」目録に、1905年の「桂・タフト協定」、「米国・日本Xたちのせいで二つに別れた38度線」などを挙げている。また、「wish list」には「南北が共同国号としてCOREAを使用、統一旗を揺らしアリランが鳴り響いたら、統一が大股で近寄るだろう」という句を入れた。

 キム・ギジョンは過去にも突発行動で注目を浴びた。

 昨年2月13日、パク・ウォンスン(朴元淳)ソウル市長が西大門区(ソデムング)・新村(シンチョン)繁栄会定期総会を訪れた際、「年齢で公共交通機関専用地区指定」と関連して質疑応答をする過程で、キム・ギジョンが質問を継続したことで、関係者たちが彼のマイクを奪い取ろうとする騒動があった。

 これを前に、2007年、20年前の「ウリマダン襲撃事件」の真相究明を要求し、大統領府「青瓦台」前で自ら体に火を付け、全身に火傷を負った。2006年には、日本・島根県が「竹島の日」を宣言すると、同僚6人と共に本籍を慶北(キョンブク)・鬱陵郡(ウルルングン)・独島里(ドクトリ)38番地に移して「独島(韓国名)守り」を作った。

 また、2010年7月7日、ソウルで特別講演を行った当時の重家俊範・駐韓日本大使に対しセメント片を投げつけた容疑で、懲役2年執行猶予3年の刑を受けている。さらに、2014年には日本大使を攻撃した内容で、著書「独島と我々、そして2010年」を出版した。

 そして今回、駐韓米国大使を刃物で襲撃した。

Copyrights(C) News1 wowkorea.jp 0