自宅で関連文書などについて説明する趙民星さん=21日、済州(聯合ニュース)
自宅で関連文書などについて説明する趙民星さん=21日、済州(聯合ニュース)
【東京、済州聨合ニュース】1923年の関東大震災での朝鮮人虐殺に関する証言や記録と一致する犠牲者の身元と遺族が、韓国で初めて確認された。
 聨合ニュースが東京・旧亀戸警察署での虐殺事件の目撃証言記録などを基に探したところ、済州島出身の一家5人、趙卯松(チョ・ミョソン)さん(当時32歳)、その妻と息子、趙さんの2人の兄弟が虐殺の犠牲者だったと分かった。
 当時、亀戸署で通訳として働いていた朝鮮人とみられる人物が、「日本の軍人が一斉に剣を抜いて朝鮮人83人を一度に殺した。妊婦も1人いたが、腹を切った時に出た子どもまで突き殺した」と証言し、朝鮮人虐殺の実態を調査していた在日本韓国基督教青年会の崔承万(チェ・スンマン)氏が記録した。1970年に日本で発行された「コリア評論」に掲載された資料には亀戸署の犠牲者として5人の名前が記され、このうち3人が趙さんの姓、住所と一致する。
 一家全員が犠牲となったために趙さんに直系子孫はおらず、最も近い7親等・8親等にあたる親戚が済州市などに暮らしていることが分かった。この遺族に会って族譜(家系に関する記録)を確認したところ、犠牲になったのは3人ではなく5人で、いずれも「忌9月1日 日本国関東地震犠牲別世」「1923年日本国関東地震 日本国政府蛮行により虐殺される」と記されている。遺族は「昔からうちで、当時ムンおばあさん(趙さんの妻)が妊娠中に犠牲になったという話を聞いていた」と話した。
 一家の死亡事実は済州島南部にある西帰浦市の役場の除籍簿でも確認された。東京で関東大震災により死亡したと記載されている。
 日本の市民団体「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」の西崎雅夫氏は「犠牲者の身元などが確認されたことで、日本政府に対する責任追及、賠償請求などが具体化され得る」と話した。
 遺族の趙ミンソンさんは「過去の過ちへの反省がない日本の態度は、歴史を正しく認識できていないため。真心のこもった謝罪を引き出すためにも過去に対する正確な調査が行われなければならない」と強調した。

Copyright 2014(C)YONHAPNEWS. All rights reserved. 0