【ソウル聯合ニュース】日本が朝鮮半島を植民地支配していた1943年、軍事の要衝だった広島県呉市の海軍基地で強制労役に反発した朝鮮人徴用者700人が蜂起していたことが15日、韓国政府機関の「対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者ら支援委員会」の調査で初めて確認された。
 朝鮮人徴用者が民間企業の作業場ではなく、日本軍施設で蜂起したことが確認されるのはこれが初めて。支援委員会は蜂起の先頭に立った故金善根(キム・ソングン)さんの広島刑務所での受刑記録や遺族の証言などを基に、こうした事実を確認したという。
 呉基地に徴用されていた金さんは1943年8月9日、別の朝鮮人徴用者を暴行した日本人の指導員に謝罪を要求したが拒否され、朝鮮人徴用者約700人を集め、こん棒などを手に指導員寄宿舎に押しかけた。指導員3人に全治1か月の重傷を負わせたという。
 その後、金さんを含む29人は就役拒否の首謀者として拘束された。金さんは1944年3月27日に日本海軍の軍法会議にかけられ、大衆暴行の罪で懲役4年を宣告され、ほかの28人も懲役1~4年の重刑を言い渡された。
 支援委員会は「海軍管轄の軍作業場で700人の朝鮮人が公務を中断させたことは、当時の日本政府と軍当局には大変な出来事で、その余波も相当だったろう」と話す。
 大阪で専門学校の法科を中退した金さんは当時23歳だった。寄宿舎の班長を務めるなど、朝鮮人の間で人望が厚かったという。
 金さんは海軍刑務所に収監されてから2か月足らずで肺結核のために刑の執行停止処分を受け、仮釈放された。故郷の慶尚北道・善山(現亀尾市)に戻ったが、3日目の1944年6月19日に死去した。
 遺族は、がっちりした体格だった金さんが仮釈放時にはひどく弱っていたとしながら、刑務所で拷問に苦しめられたと主張している。1972年から日本政府に裁判記録を見せるよう要請し続けたが認められず、最近になってある政治団体の助けで主要情報がすべて塗りつぶされた記録を受け取った。
 支援委員会はほかの朝鮮人徴用者の裁判記録を探すなど、蜂起に関する資料を集める必要があるとする。「この蜂起は700人を超える朝鮮人が徴用を拒否した闘争として歴史に記録しなければならない。強制連行の被害者として認められた金さんを独立運動家とみなすべき」と話した。 

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