【ソウル聯合ニュース】韓国の外交と安全保障の中軸である韓米同盟が結ばれてから来年で60年を迎える。朝鮮戦争後の韓米相互防衛条約締結で始まった韓米同盟は韓国が米国の支援を受ける形から包括的な戦略関係に発展した。
◇ 相互防衛条約でスタート
 韓米同盟は朝鮮戦争停戦後の1953年10月1日に締結された韓米相互防衛条約で本格的に発足した。同条約は停戦協定の締結に反対した当時の李承晩(イ・スンマン)大統領が停戦後、相互防衛条約の締結と軍事援助を強く求め、実現した。同条約締結により、米国は韓国に対する安保提供や国連軍の一員として軍隊を韓国に駐留できる法的根拠を持つことになった。
 両国は1954年、軍事・経済援助に関する合意議事録を交わした。米国は韓国軍の指揮権を、韓国政府は米国から約7億ドル(現在のレートで約600億円)の軍事・経済援助を得た。
 停戦協定と相互防衛条約、軍事・経済援助に関する合意議事録の3軸でスタートした韓米同盟は朝鮮半島での戦争再発防止や韓国経済発展の礎を築いたと評価されている。一方で、韓米同盟が作戦統制権など国の自主性や軍事主権を制約し、対米関係を依存的で垂直的にしたとの批判もある。
◇冷戦体制の変化 
 米国がアジアからの米軍撤退を柱とした「ニクソン・ドクトリン」により1971年、在韓米軍2万人を撤収させたのを受け、韓米同盟は転機を迎えた。
 安保危機を懸念した当時の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領は核兵器開発を独自で推進し、両国の対立が深まった。ぎくしゃくしていた両国関係は韓国の核開発放棄で収束に向かったが、カーター政権が朴政権に対し人権問題の改善などを求め、両国関係は再び冷え込んだ。
 空軍戦力と情報・通信部隊を除く戦力を1980年代初めまでに撤退させるとしたカーター政権の計画は米国内での世論悪化で1978年に中断された。同年、両国は米軍削減による戦力の穴を埋めるため、韓米連合司令部を発足させた。
 韓米同盟は1980年代初め、レーガン政権の発足とともに強固な関係を取り戻した。米国は冷戦終了や経済成長による韓国の役割強化を受け、1990~1992年に陸・空軍約7000人を韓国から撤退させた。
 「韓国防衛の韓国化」を求める声が強まり、1994年には平時作戦統制権が米国から韓国に移管し、一方的な支援を受ける関係から相互補完的なパートナー関係に変化した。
◇「離婚を控えた夫婦」から戦略同盟に
 韓国の発展や米国の対外政策、朝鮮半島安保環境の変化などで2000年代に入り、韓米同盟を見直す必要性が示された。
 2002年、米軍の装甲車にひかれて女子中学生が亡くなる事件が発生し反米感情が高まったことや、当時の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の「対等な同盟」などが世論の支持を受け、米国の一国主義に対する批判の声が強まった。一部では「離婚を控えた夫婦」との表現が登場するなど、両国関係は悪化した。
 こうしたなか、両国は在韓米軍基地の統廃合や戦時作戦権の移管、自由貿易協定(FTA)などで合意する成果を出した。
 李明博(イ・ミョンバク)現政権の発足後、韓米同盟はさらに強固なものになった。米国産牛肉の牛海綿状脳症(BSE)問題などで反米感情が爆発したが、両国は2009年に同盟未来ビジョンを締結するなど、韓米同盟を21世紀の戦略同盟に発展させるため努力した。
 今年は韓米FTAが発効し、経済的にも新たな協力時代に突入した。今や「最上の韓米関係」との分析が出ている。ただ、両国間の摩擦がなかったのは現政権が米国のスタンスを積極的に受け入れた結果との批判もある。 

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