【ソウル聯合ニュース】「私の生命が継続したならば追憶も新たな不忘の日と思う。朝鮮独立起源日である。悪魔長崎から脱出したのは八月十二日午後八時だった」(1945年8月)――。
 日本植民地時代に強制徴用され、長崎の三菱造船所で作業中に被爆した故金順吉(キム・スンギル)さんが書いた日記の一部だ。
 「悪魔長崎」という言葉から、朝鮮人労働者がどれだけ悲惨な生活を強いられたかが想像できる。
 金さんが強制徴用され、日本に渡ったのは1945年1月9日だった。日記は同年2月12日から原爆が投下された8月9日の前日までつづられている。金さんは8月12日に長崎を脱出し、19日に釜山に到着したという。
 日本語で書いた日記には故郷への思いや悲惨な徴用生活などが生々しく記録されている。
 「2月12日 月曜 晴れ 待つのは母郷のお便り 本日小包郵便到着セリ 内訳 大豆玉葛子(くずこ)混合約1升 鱈(たら)魚味付乾物若干 海苔(のり)二〇枚」
 「握り飯一個で空腹をしのぐには耐え難い」
 原爆が投下される前日の8月8日に書いた最後の日記からは当時の緊迫した状況が読み取れる。
 「桜谷神社の谷の民家横穴に待機する (空襲警報)解除は十二時頃になった 弁当は山で食べる」
 金さんは1992年7月、日本政府と三菱造船所を相手取り、原爆被害補償と未払い賃金の支払い訴訟を提起し、6年間余り孤独な戦いを続けてきたが、1997年末に敗訴。控訴審中だった1998年2月に持病で死亡した。
 韓国の国史編さん委員会は、金さんの書いた日記の複写本をはじめ、朝鮮人の原爆被害者らの訴訟資料を公開する。資料は裁判で朝鮮人の代理人を務めた日本人弁護士らから数回にわたり、提供を受けたもの。訴状や弁論書、判決文、証拠資料など、11件の訴訟と関連した歴史的記録だ。
 これらの資料は国史編さん委員会で誰でも自由に閲覧できる。

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