1年前の南北首脳会談(青瓦台写真記者団)=(聯合)
1年前の南北首脳会談(青瓦台写真記者団)=(聯合)
【ソウル1日聯合】南北首脳宣言が採択された2007年10月4日、当時の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と金正日(キム・ジョンイル)総書記は南北関係に「釘」を打ちたいという点で意気投合したとするのが、一部専門家たちの分析だ。任期を5か月足らず残した盧前大統領は、次期政権と関係なく合意通り履行さえされれば南北関係の流れが続くという「水路」を築きたかった一方、金総書記は韓国の大統領選という変数を控え一種の「担保装置」を作っておく必要を感じていたとの見方だ。
 しかしそれから1年、南北関係は専門家らが分析した2人の思惑とはまったく異なる方向に流れた。

 2月末に発足した李明博(イ・ミョンバク)政権が、北朝鮮が非核化して開放すれば、10年以内に1人当たり国民所得が3000ドルに達するよう支援するという「非核・開放・3000」構想を公式化するとともに、2000年の南北共同宣言に盛り込まれた「わが民族同士」精神の代わりに、国際協力を通じた北朝鮮へのアプローチ政策を打ち出した。これを受け、北朝鮮は3月末に反発を行動に移し始めた。

 政府は3月、北朝鮮に対話を呼びかけようとしていたが、北朝鮮側が開城の南北経済協力事務所の当局者を追放したほか、黄海上で短距離ミサイルを発射し、韓国側当局者の訪朝を拒否するなど韓国への攻勢を続けたため、対話提議のタイミングをつかめずにいた。

 こうした中、北朝鮮は核問題交渉で絡んでいる米国との国交正常化に熱を入れ、韓国とは「対話をしない」姿勢を貫いた。韓国政府が支援を提議したトウモロコシ5万トンも受け取りを拒否している。

 韓国国民は民間レベルでの南北交流が正常に維持されていることを救いとしていたが、7月に北朝鮮・金剛山で起きた韓国人観光客射殺事件を受け同地の観光は中断され、大きな打撃を受けることになった。

 政府は原則的にこの事件と南北関係を別問題として対応する立場を表明したが、実質的には、事件解決のため北朝鮮が韓国の現地調査団を受け入れるまで、人道的支援を含むあらゆる支援を保留することを決めた。一方の北朝鮮も韓国側の要求を受け入れるどころか、8月には金剛山地域に滞在していた韓国の関係者を最低要員だけを残し撤収させるなど真っ向から反発し、南北関係は回復の糸口を見い出せなかった。

 北朝鮮の政権樹立60周年記念日(9月9日)を前後に金総書記の重病説が浮上し、南北関係はさらに予想外の厳しい局面を迎えた。

 政府は南北関係の状況を管理する意味で、北朝鮮が強く反発している「非核・開放3000」の代わりに、「相生・共栄」を対北朝鮮政策の公式スローガンに掲げたが、国内向けの宣伝文句にとどまっている。最近では、民間団体の大規模訪朝を許可したほか、人道的支援を意思を強く表明するなど対話再開のムード作りに務めているものの、北朝鮮は依然として反応を見せていない。

 昨年、南北の首脳は首脳宣言にサインし、南北関係を磐石なものにすると期待していたかもしれないが、この1年間に起こった変化は10年間の対北朝鮮融和政策の中で築いてきた南北関係の基盤が意外と弱いことを裏付けた、とするのが現在の評価だ。

 政府は南北関係の現状について、「過渡期的側面」を強調する。今は互恵的かつ相互関係が明らかな南北関係を築くための「産みの苦しみ」の時期だけに、既存の原則を維持しながら北朝鮮が対話要求に応じるまで待つというのが、政府の基本姿勢だ。

 だが、政府の認識以上に現在の南北関係を深刻に見る向きも少なくない。北朝鮮は単なる「気力の勝負」といった意味で韓国と距離をおいているわけではなく、韓国政府の新たな対北朝鮮政策が「非核化と開放」という大きな変化を前提にしていることへの警戒を背景に行動しているため、簡単に解決できる状況ではないとの主張だ。実際、北朝鮮が南北共同宣言や南北首脳宣言の履行に執着するのも、2つの宣言を自国の政治・経済における「安全弁」と認識しているため、との分析もある。

 それだけに、時間が経てば北朝鮮が対話に応じてくれるとの漠然とした期待の代わりに、北朝鮮を対話のテーブルに導くさまざまな策を研究すべきだとの指摘が提起されている。

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