【ソウル11日聯合】金正日(キム・ジョンイル)総書記の健康悪化説を機に、金総書記を取り巻く中核実権者らに注目が集まっている。1994年7月に金日成(キム・イルソン)主席が死亡し「金正日時代」に入り10年、革命1世代の重鎮らはほとんど死亡したか一線を退いており、自然と金総書記の側近らが浮上してきた。最高人民会議の第10、11期代議員選挙を経て世代交代も行われた。
 金総書記が掲げる「先軍政治」の基盤を担う軍部では、趙明祿(チョ・ミョンロク)軍総政治局長兼国防委員会第1部委員長、李用茂(リ・ヨンム)、金英春(キム・ヨンチュン)国防委副委員長、金格植(キム・ギョクシク)朝鮮人民軍総参謀長、金鎰チョル(キム・イルチョル)人民武力部長、李明秀(リ・ミョンス)国防委行政局長、張成禹(チャン・ソンウ)人民武力部民防衛司令官、金己仙(キム・ギソン)総政治局組織副局長、玄哲海(ヒョン・チョルヘ)総政治局商務部局長、金正覚(キム・ジョンガク)総政治局第1部局長の名が挙げられる。

 中でも注目されるのは、金英春副委員長と李明秀行政局長、玄哲海商務部局長、金正覚第1部局長らだ。軍総参謀長を経て国防委副委員長となった金英春副委員長は、政権樹立60周年記念の民兵隊閲兵式で報告を担当した。李明秀行政局長は軍総参謀部作戦局長から国防委に移り、金総書記の軍部隊視察に随行している。金正覚第1部局長は昨年、人民武力部副部長から新設の総政治局第1部局長に起用された。玄哲海商務部局長はほとんどの金総書記の軍視察に随行しており、ことし上半期だけで14回と、金基南(キム・ギナム)秘書(17回)に次ぐ多さだ。

 張成禹司令官は、金総書記の義弟、張成沢(チャン・ソンテク)党行政部長の実兄に当たる。趙明祿総政治局長は北朝鮮軍部のナンバー2だが、80歳という高齢に健康上の問題もあり、実力者より元老としての象徴性がより大きいとみられる。先の政権樹立60周年閲兵式では、昨年4月の軍創建75周年閲兵式以来、1年半ぶりに姿を現した。

 軍部中核人物には国防委員会所属が多い。国防委員会は1998年9月の国家主席制廃止の憲法改正で、従来の最高軍事指導機関という立場から国政全般をつかさどる最高政策決定機関となり、地位と権限が大幅に強化された。特に昨年からは軍中枢人物が続々と国防委員会の専任に移っており、国防委員会は名実共に北朝鮮の最高権力機関として座を固めていると分析される。

 朝鮮労働党では、金基南、全炳浩(チョン・ビョンホ)、金国泰(キム・グクテ)秘書、張成沢党行政部長、金養建(キム・ヤンゴン)統一戦線部長、呉克烈(オ・グクリョル)作戦部長、李容哲(リ・ヨンチョル)、李済剛(リ・ジェカン)組織指導部第1部部長、姜寛周(カン・グァンジュ)対外連絡部長が中核実力者に挙げられる。

 金基南秘書は「宣伝分野の奇才」と言われ、金総書記の名で発表される主要文献や各種祝賀文のすべてを手がけている。張成沢部長は「実力者中の実力者」と言われる。一時は失脚したが、労働党の勤労団体・首都建設部第1部長から、昨年、司法・検察、人民保安省、国家安全防衛部をつかさどる党行政部長に昇進した。金総書記が倒れ業務に空白が生じることがあれば、張成沢部長と金総書記の4番目の夫人とされる金玉(キム・オク)国防委員会課長が埋めることになるとみられる。

 金養建部長は、昨年の南北首脳会談では北朝鮮側から唯一同席しており、金総書記の信任を得ている。革命2世代で万景大革命学院1期生の呉克烈部長は、日帝占領末期に「金日成部隊」隊員だったオ・ジュンソンの1人息子。

 政府と内閣の実力者としては、金英男(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長、金英逸(キム・ヨンイル)首相、姜錫柱(カン・ソクジュ)第1外務次官、朱相成(チュ・サンソン)人民保安相らが挙げられる。金英男委員長は名目上の国家元首、金英逸首相は海運大学を卒業後、陸海運省の末端指導員から交通部門全般を指揮する陸海運相に上り詰め、昨年4月に首相に起用されたという立志伝を持つ人物だ。姜錫柱外務次官はは、米朝核問題に深く関わった金総書記の古い側近、治安維持を担当する朱相成人民防衛相は第5軍団長の出身だ。

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