対象となる文化財は、高麗時代に建てられた高さ6.4メートルの5重の石塔で、利川郷校(現在の利川図書館側)の近くにあったことから「利川郷校方5層石塔」と呼ばれている。
利川文化院は1月に韓国芸術文化団体総連合会利川支部、利川市持続可能発展委員会、利川YMCA、利元会(利川土着の元老の集まり)、利川環境運動連合、利川教育庁とともに「利川郷校方5層石塔還収のための準備委員会」を結成した。
この石塔が国内にあったとすれば宝物級はもちろん、国宝としても指定されるほどだと文化財専門家らは判断している。石塔は現在、日本のホテルオークラ東京の敷地内にある大倉集古館の裏庭にコケが生えたまま建っている。利川文化院によると、1915年に景福宮で開催された朝鮮物産共進会の会場の野外装飾品として使われた石塔が実業家の大倉喜八郎の目に留まり、その年に日本に搬出された。
この石塔の存在が知られることになったのは、利川出身の在日同胞、キム・チャンジンさんが3年前に利川文化院に石塔を取り戻すよう提案したのがきっかけだった。世論形成の過程を経て1月にようやく準備委員会が結成され、石塔を取り戻すための第一歩を踏み出した。4月には市民討論会も開催され、利川の大切な文化財を必ず取り戻すことで意見がまとまった。その第1段階として準備委員会は、8月までに各界各層の市民が参加する汎市民団体を発足した後、市民署名運動や公式的な返還要求など組織的で体系的な返還運動を行う計画だ。
利川文化院は昨年9月から数回にわたりキムさんを通じ、ホテルオークラ側と直接会って石塔返還について話し合いたいとの意向を伝えているが、ホテル側はまだ返答をしていない。
Copyright 2008(C)YONHAPNEWS. All rights reserved. 0