【ソウル25日聯合】「われわれがそれ(電子製品)を作ってはだめかな?技術が無ければ外国から学び、それでもだめなら外国の技術者の招けばいいことではないか。やればできる」――。1957年に楽喜化学(現LG化学)の具仁会(ク・インフェ)社長がある社員に投げかけた言葉は、翌年3月27日の金星社(現LG電子)の出現を予告するものだった。
 今月27日で創立50周年を迎えるLG電子は、韓国電子産業の歴史そのものと言っても過言ではない。金星社創立当時、電子製品といえば外国製のラジオとわずかな米国製輸入テレビがすべてだった状況で、創業者の具会長はまずラジオの国産化を進め、1959年11月に初の国産ラジオ「A-501」を世に送り出した。金星社はその後も「家電は金星」というイメージを消費者に植え付けながら、「国内初」の歴史を書き続けた。ラジオ、扇風機、電話機、冷蔵庫、洗濯機、エアコン、カセット録音機、電子レンジなど、金星社が生み出した電子製品は例外なくすべて「国内初」だった。なかでも1966年8月の初の国産白黒テレビは、金星社にとってラジオに次ぐ7年ぶりの快挙となった。国内電子産業の歴史が1段階飛躍したことを示す里程標であり、韓国が映像時代に入ったことを意味する出来事だったのだ。当時に19インチの白黒テレビは6万8000ウォン、現在の価値で500万ウォンほどになるが生産が追いつかず、公開抽選による当選者に販売されるという大ヒットを飛ばした。

 こうして茶の間を支配した金星社が、現在、世界中を舞台に飛び回りながらグローバル市場に号令を飛ばすLG電子として生まれ変わったのは1968年のこと。米ニューヨーク支社の設立が「グローバルLG」の種だったとしたら、1973年の電子業界初の証券市場上場に次ぎ、1975年に民間最高の電子関連中央研究所を設立したことは、満開のための準備段階といえる。LG電子の努力はさらに、1978年末の電子業界最初の輸出1億ドル達成、1982年10月の国内企業初の海外生産法人設立へと続き、1995年には米最大手家電ゼニスの買収として成果を現した。ゼニス買収時に一部の米メディアは「米国のプライドがアジアの一電子会社につぶされた。恥ずべき日だ」と特筆したのは有名な話だ。ゼニス買収はその後、買収・合併の失敗ケースとして記録されたほどの試練をLG電子に与えたが、10年間の経営立て直しを経て、ゼニスは今年デジタルテレビで9000万ドルのロイヤルティーを稼ぎ出す「孝行息子」に生まれ変わっている。

 創業当時300人だったLG電子の社員数は、現在120カ国・地域の海外法人と支社を合わせ8万2000人にまで膨れ上がった。5000万ウォンだった年間売上高は昨年41兆ウォンを記録している。輸出は1962年に米国向けに出した5万ドル相当の3592台のラジオから始まったが、昨年1年間のグローバル輸出額は183億ドルに達した。

 また、同社は労使関係文化の歴史も新たに書き改めたことを誇る。労使の賃金交渉は1990年から19年連続で無ストライキで妥結している。

 LG電子のナム・ヨン副会長は来月中旬発行する50年社史で、「人の本性をそのまま現れるようにすることが『人間尊重』経営だ」とし、50年史はLGのそうした精神を反映しているという点で大きな意味を持つとする。またこの50年を顧客のための歴史だとしながら、「顧客のためのたゆみない価値創出で、100年を超える偉大な企業として進んでいかなければならない」と決意を新たにした。LG電子がサムスン電子と肩を並べながら、激戦のグローバル電子市場で縦横無尽の大活躍を見せる「偉大な企業」としてさらに飛躍できるか、注目される。

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