【ワシントン2日聯合】米国の首都ワシントン近くに位置するバージニア州で、100年以上にわたり韓国の英語名である「コリア」の名前が官公庁と道路の名称に使われていたことがわかった。
 ワシントンから南西128キロメートルに位置するバージニア州カルペッパー郡に行くと、青地に白い文字で「KOREA RD(コリアロード)」と書かれた標識がある。この周辺に韓国人が居住しているわけでもないのに、道路の名前は「コリアロード」だ。

 「コリア」が道路の名前に使われた理由は1890年代末までさかのぼる。当時、米郵政局がバージニア州に郵便局を新設することになり、名前を募集していた。多くの提案があったが、いずれも他の地域で使われており名称としては不適切だった。そこに当時16歳の少年が、新聞でよく目にしていたある国の名を思いついた。地球の反対側の東アジアで、日本と中国の間に挟まれ国際紛争に包まれている国、「コリア」だった。少年はさっそく、郵便局の名前を「コリア郵便局」にすることを提案した。覚えやすく書きやすい上、バージニア州や周辺の州でも同じ名前の郵便局はひとつもなかったことから、1899年10月18日、バージニア州の小さな農村に「コリア郵便局」が誕生した。これにより、周辺の村の名前も「コリア」になった。「コリア郵便局」は1951年9月に閉鎖され、いまでは「コリア」の名を残しているのはカルペッパー郡を通る4.8キロメートルの「コリアロード」だけとなった。

 「コリア郵便局」最後の局長だったジュリア・ジェームスさんの娘、ジュディ・チャンドラーさんは、聯合ニュースの取材に対し、「わたしが『コリアロード』の名前を付けるのに一役買った」と明らかにした。郡の各道路に名前をつける際に、ジュディさんが村の家々を回り、「コリアロード」という名前を付けようという請願書に署名を集めたという。ジュディさんは「『コリア』という名前を簡単には捨てられなかった」と当時を振り返る。

 当時ここに住んでいた人たちは、「カルペッパーの韓国人」と呼ばれ、こうした事実は1952年12月に当時の大統領選挙で当選したアイゼンハワー氏の韓国訪問について報じる新聞記事からも確認できる。新聞によると、この村の住民23人は、「アイゼンハワー氏の訪韓が朝鮮戦争を終息させ、新たな平和の時代をスタートする助けになるよう願う」とする内容の電報を李承晩(イ・スンマン)大統領に送っている。

 一方、駐米韓国大使館のクォン・テミョン総領事は「村の住人は、コリアという名前を持っているだけで、韓国に対して特に知っていることはなく、今後コリア村と韓国人社会の姉妹提携を通じて多様な交流事業を進める考えだ」と話している。5月末にこの村に新しい映画館がオープンするため、それに合わせて韓国映画や韓国料理など、韓国の文化を紹介する機会を持てるよう検討しているという。

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