1871年に米国が江華島を攻め朝鮮開国のきっかけとなった「辛未洋擾」で、魚在淵(オ・ジェヨン)将軍が指揮する朝鮮軍は米国に立ち向かったものの大敗し、魚将軍の「帥字旗」は米国の戦利品として持ち去られたままになっていたが、この帥字旗が136年ぶりに故国の空に翻った。
 米海軍士官学校博物館と長期貸与協定を結んだ文化財庁は22日、帥字旗の帰還を祝う記念式を国立故博物館で開催した。帥字旗は縦4.35メートル、幅4.15メートルの麻地でできており、比較的良好な状態だ。ただ、米海軍の慣例で、勝利品として残すため右側下方に切り取られた跡がある。

 記念式には魚将軍の子孫のほか、江華島一帯の海域を守る海兵第2師団長や仁川海域防御司令官、海兵隊将兵らが出席した。魚将軍の子孫は「100年後に旗を再び見た気分は言葉では表現できないほど苦しい」と述べ、何の見返りも望まず国のために命を捧げた守備軍の勇気を理解しなければならないとした。

 帥字旗は最長10年間、国内で公開される。2008年3月からは故宮博物館と仁川広域市立博物館、江華博物館で順に展示する計画だ。

 辛未洋擾発生2日目の1871年6月11日、艦砲射撃で海岸を焼き進撃する米海軍に対し、朝鮮軍600人余りは魚将軍の帥字旗を背に玉砕作戦で抗戦した。しかし結果は、朝鮮軍は魚将軍を含め約350人が死亡、負傷者は20人、対する米国は戦死者3人と負傷者10人で、朝鮮軍の大敗に終わった。米国は帥字旗を下げて代わりに星条旗を掲げ、帥字旗は米軍の戦利品として米海軍士官学校博物館に展示されることになった。


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