2004年の全羅北道群山の十二東波島で発見された船をはじめ、2005年には全羅南道安佐島で、昨年は京畿道大阜島で高麗時代の船が発見されている。
水中調査の結果、青磁運搬船は東西向きで沈没していることが分かった。船体の残骸(ざんがい)は東西7.7メートル、南北7.3メートルにわたりはっきりと残っている。幅40センチメートル、厚さ6センチメートルの外板や付属具、底板とみられる木材の一部、加工していない円筒木といかり綱を結ぶための石製の横棒などが肉眼で確認された。
また沈没した船舶からは、1000点以上に上るとみられる高麗青磁が発見された。平鉢や皿が中心だが、瓜形水注やかめ、鉢、素焼きのつぼなど、以前の水中調査では確認されなかったさまざまな食器が発見された。
同展示館のソン・ナクジュン課長は、現在肉眼で確認した高麗青磁は種類や形がさまざまで、紋様や表面のつや、胎土、焼成技法などが優秀なことから、全羅道康津で生産し、王室をはじめとした支配層に届けるため当時の都・開京に向かう途中で沈没したとの見方を示した。
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