1970~1980年代にすべての高校生に義務付けられていた「教練」の科目が歴史の中に消え去ろうとしている。

 迷彩色の訓練服を着て運動場で銃剣術や救急教育などを行う教練の科目が設置されたのは1969年。前年に北朝鮮の特殊部隊員31人が韓国に潜入し、青瓦台(大統領府)を襲撃しようとして1人を除き射殺された「青瓦台襲撃未遂事件」の発生を受け、当時の朴正熙(パク・チョンヒ)大統領が北朝鮮との非正規戦に備える目的で郷土予備軍を創設し、高校と大学に教練科目を導入したのが始まりだ。小銃の分解・組み立てと手入れのほか、女子は負傷兵の手当てなどの訓練を受けた。教練のある日は登校時間になると軍服を着てサングラスをかけた担当教師が、校門前で頭髪や服装のチェックを行い、違反者には体罰を加えることも日常的だった。

 こうした訓練も、世界的な冷戦構造の集結と韓国の民主化が進んだことから徐々に変わっていき、1992年の第6次教育課程改正後には、軍事訓練中心だった教練も、簡単な応急処置や心身修練を中心とした内容となっていった。1997年の第7次教育課程では、必須科目から選択科目に変更され、教育庁と学校の裁量により教練科目の実施を決定するようになった。教練科目が残っている学校は、昨年には91の高校にとどまっており、2144校のうち4.2%にすぎない。

 教育人的資源部は、第7次教育課程が社会環境の変化を反映していないとの声が高まっていることから、「教練」の名前を変更し、「安全生活」「生活安全」などにすることを検討してるがまだ結論はでていない。今週中に公聴会を開き、各界からの意見を取りまとめた上で、来月末までに新名称を決定する方針だ。これにより2012年度からは「教練」に代わり、新たな名前の科目となり、40年近い歴史を持つ「教練」の名前は姿を消すことになる。


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