韓首相は弔辞で、「現代史の荒波の中で大統領職に就き、混乱した政局を国民とともに耐え抜いた故人を見送るわれわれの心は、限りなく重く悲しいばかりだ」と哀悼の意を表した。外務部(現・外交通商部)通商局長と4回に及ぶ韓日会談の代表を歴任するなど昼夜を問わず献身し、1973年の石油危機ではサウジアラビアを訪問し石油供給の約束を取り付けたことは忘れがたい業績だとたたえた。
崔元大統領の遺体は、2004年に死去した洪基(ホン・ギ)夫人の遺体とともに、礼砲に送られ景福宮を後にした。景福宮東門~東十字閣~光化門~世宗ロータリー~南大門~ソウル駅三角地~盤浦大橋~京釜高速道路を経て、国立大田顕忠院に向かう。到着後、午後には埋葬式が行われる。
霊柩車が徒歩の速度でゆっくりと走行する中、沿道の市民は歴代大統領の中で最も在任期間が短く「悲運の大統領」と呼ばれる崔元大統領に、哀悼を示した。
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