1977年、北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(当時13歳)とその家族の人権を守るための日本政府の執念によりめぐみさんの夫が韓国人拉致被害者(拉北者)という事実が明らかにされた。4年間にわたる執拗な追跡の賜物だった。

韓国企業のある東京駐在員は「今回のことは数十年前の戦死者の遺体を捜すのに全力を尽くす米国とともに日本も自国民の保護が国家の最も基本的な任務であることを示した」と述べた。

日本政府が把握した日本人拉北者は21人。一方、関連団体と家族が主張する韓国人拉致被害者は約500人にのぼる。それでも拉北者問題を解決しようとする日本政府の情熱は韓国と比べものにならないほど高い。

◆日本政府の執念=東京の消息筋によると、日本政府は北朝鮮政府によって現地で結婚しためぐみさんの夫が金英男さんという事実をずいぶん前から把握していた。ある関係者は「日本政府は遺伝子(DNA)検査に入る前から結果に自信をもっていた」と話す。これは緻密にコツコツと、かつ隠密に情報収集活動した結論だった。ただ北朝鮮政府が認めるに値する物的証拠が不足していた部分を今回のDNA検査が補ってくれたのだ。

日本がめぐみさんに関する情報をに初めて接したのは2002年10月、ほかの拉北者の証言があってからだった。金正日(キム・ジョンイル)国防委員長はその年の9月、平壌(ピョンヤン)で行われた小泉純一郎首相との首脳会談で「70年代に日本人13人を拉致した」と認めた。中でも生残者5人が日本に帰国すると外務省と警察が大規模の調査をした。

このうちの1人である蓮池薫さんから「10年間めぐみさん夫婦とつきあいがあったが、夫は韓国人だと聞いた」という証言が出た。しかし日本はこの事実を公開しなかった。物証もない状態でむやみに発表し、相手にうやむやに対応されるのを懸念したからだった。

それに先立って会っためぐみさんの娘キム・ヘギョンさんの陳述もさらに疑惑を濃くした。金正日委員長の拉致自認直後の9月30日、外務省当局者たちは、平壌でキム・ヘギョンさんに会ってさまざまな質問をしながらDNA検査のための血液、髪の毛など試料を確保した。

その後、拉致問題に関する朝日間協議が北京で開かれたが、特に成果はなかった。第3回実務協議は2004年11月、平壌で開かれた。会議の場所を変えたのは日本政府が強く要求したためだ。めぐみさんの夫と会って真相を確認するという意志があったからだ。

◆金英男さん身体情報採取「作戦」も=日本はこれに先立ち、めぐみさんの夫である可能性がある韓国人拉北者たちの写真をあらかじめ確保した状態だった。高校時代に拉致された金英男さんら5人の写真だった。日本代表団たちは平壌に向かうのに先立ち、この写真を脳裏に刻んだ。20年以上が過ぎた状態で同じ人物であることを確認するためのことだった。いざとなったら写真をつきつけて本人に自白させるという計画も立てた。会談所に入った政府代表の1人には「キム・チョルジュンの目元だけ確認せよ」という任務が与えられた。

夫の身元を確認することができる身体情報収集のための「作戦」も準備した。調査団の一員だった警察幹部は金さんに表面が特殊処理された写真を渡し、触わらせるとかタバコを吸わせるなどして吸穀を確保しようとした。しかし指紋確保には失敗した。

こうした過程を繰り返しながら自信を得た日本政府は今年の初め、最後の確認段階であるDNA検査に入った。

昨年12月、安倍晋三官房長官が羅鍾一(ラ・ジョンイル)駐日大使に直接韓国人家族たちの試料採取に対する協力を要請するほど重きを置いた。めぐみさんの娘と韓国人拉北者たちのDNAは何の関連もないという結果が出て恥をかくことはない自信があったという意味になる。また日本政府は「北朝鮮に生きているかもしれない」めぐみさんの痕跡を追跡すると同時に、ほかにいると思われる拉北日本人たちに対する調査も疎かにしなかった。

国家情報院が97年、金英男さんの拉北事実を確認してからも韓国政府は10年近く野放しにしていた。せいぜいやったとといえば韓国人拉致被害者家族のDNAを日本政府関係者が韓国に来て収集していくことができるように容認したことぐらいだった。

日本政府のDNA検査に協力してきた韓国拉北者家族の集いのチェ・ソンヨン代表は「韓国政府ではない日本政府に遺伝子試料を任せ、本心はあまりよく思わなかった」とし「しかしその過程で日本政府が拉致問題解決に執念を持っていることを確認し、ありがたく思った」と述べた。

 0