全斗煥氏(資料写真)=(聯合ニュース)
全斗煥氏(資料写真)=(聯合ニュース)
【ソウル聯合ニュース】韓国の全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領が23日、歴史に消えない過ちと傷を残してこの世を去った。90歳だった。全氏は1980年9月から88年2月まで大統領を務めた。◇陸軍士官学校卒業後に政治軍人の道へ クーデターで実権 全氏は1931年、慶尚南道・陜川生まれ。貧しい家庭に育ち、51年に陸軍士官学校に入学した。同期には盟友の盧泰愚(ノ・テウ)氏(元大統領)がいた。55年に陸軍少尉に任官された後、情報機関・中央情報部の人事課長、第1空輸特戦団長などに就いて出世街道を走った。 自らが中心となり、慶尚道出身の陸軍士官学校の同期や後輩らを集めた軍内私組織「ハナ会」を結成。76年には大統領警護室の次長補となり当時の朴正熙(パク・チョンヒ)大統領を間近で補佐し、権力の中枢に一段と近づいた。 国軍の内部を統括する保安司令官だった79年10月、朴大統領が側近に射殺されると権力欲をあらわにし始める。 同事件の合同捜査本部長に就いた全氏は、さまざまな越権行為により軍内で批判が起き、ポストを外されそうになると、ハナ会の将校らと軍事反乱を企てた。同年末、当時の崔圭夏(チェ・ギュハ)大統領の承認も得ず、上官に当たる戒厳司令官を逮捕するクーデター(12・12軍事反乱)を起こした。  軍の実権を握り、ハナ会の出身者で軍部を再編すると、80年5月17日には非常戒厳令を全国に拡大させ、金大中(キム・デジュン)氏(元大統領)ら有力政治家を逮捕して一挙に権力を掌握した。 これに対し、翌日に光州市で市民が民主主義の復活を叫び、軍に抵抗する「5・18民主化運動(光州事件)」が起きたが、新軍部は武力でこれを鎮圧し、現代史で最悪の悲劇を招いた。 全氏は同年8月、軍服を脱いで政治家としての道へ足を踏み入れた。崔圭夏大統領を下野させると、統一主体国民会議による間接選挙で第11代大統領に選出され、9月に就任した。◇7年の独裁後に盟友の盧泰愚氏へ政権移譲 憲法を改正し、81年に第12代大統領に就任すると、不正・腐敗・政争の一掃を叫んだ。政権は「正義社会の具現」をスローガンとしたが、国全体は正反対の方向へと動いた。言論統廃合と報道指針によって報道を規制し、情報機関・国家安全企画部の要員らを使って学生を監視した。野党の政治家や学生らは親北朝鮮・容共の罪を着せられ、ひどい拷問を受けた。 独裁政権を倒したのは民主化を望む国民だった。87年1月に警察庁の対共分室で起きたソウル大生の拷問死事件は、6月民主抗争という国民の抵抗を招いた。民主化デモに屈した全氏は権力の座を降りることになる。 大統領直接選挙制の導入などを盛った盧泰愚氏の民主化宣言により盧氏に有利な世論が形成され、文民出身候補が金泳三(キム・ヨンサム)氏、金大中氏の2人に分かれたことから、同年末の大統領選では盧氏が当選した。全氏にとっては幸運だったが、それは長くは続かなかった。 少数与党の政局で全斗煥政権を清算する動きが強まり、大統領退任からわずか1カ月で弟が不正の疑いで逮捕されるなど、全氏は果てしない転落を経験することになる。88年11月には在任中の過ちと不正を国民に謝罪し、政治資金や個人資産などの私財を国庫に献納した後に妻と共に江原道の寺で隠遁(いんとん)生活を送った。 それから2年後の90年12月にソウルの自宅へ戻ったが、待ち受けていたのは歴史の断罪だった。 文民政権を開いた金泳三大統領がクーデターや光州事件の真相解明と関連者処罰などの措置を取り、全氏はこれらの責任を問われた。95年末、内乱罪の容疑で検察から出頭要請を受けた全氏は捜査に協力しない旨を表明して故郷に向かったが、逮捕状が執行されて連れ戻され、刑務所に入った。 金大中氏が当選した97年末の大統領選直後、金泳三大統領の特別赦免により釈放されたが、その後は一度たりとも誠意ある反省の姿勢を見せなかった。カネがないという理由で裁判所に命じられた追徴金を納付せず、回顧録や裁判を通じて光州事件の真実をゆがめたと批判されている。◇経済成長やスポーツ・文化の発展政策巡っても批判の声 全斗煥政権は物価安定などで経済成長基調を維持し、88年のソウル夏季五輪を招致するなどして韓国の国際的地位を高めたと、全氏は自評する。長期政権を画策して悲惨な最期を迎えた朴正熙元大統領とは違い、7年という任期の約束を守り、政権を平和的に後任に譲ったことも、全氏が掲げる功績の一つだ。 ただ、経済成長一つをとっても、「朴正熙が用意した膳の上の飯を食べたもの」だとする反論は少なくない。統治資金の名目で輸出大企業から多額の資金を集めたことも、全斗煥政権が経済成長に尽力したという評価を色あせさせる。 プロ野球をはじめとするスポーツや映画などの文化の発展に力を入れたというものの、政治に関心を持たせず、民主化への熱望をそぐ愚民化の手段として文化を利用したとの批判もある。
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