遺書には「200人の生死が分からないのに一人で生きるのはつらい。全ての責任を負わせてほしい。私が修学旅行を進めた。遺体は焼いて沈没した地域にまいてほしい。遺体が見つからない子どもらと共にあの世で先生をしようか」と書かれていた。
警察は18日午後4時5分ごろ、行方不明者の家族が待機している全羅南道珍島郡の室内体育館近くの木で教頭が首をつって死んでいるのを発見した。
警察は、教頭の姿が17日午後9時50分から見あたらないとの連絡を18日午前1時ごろに受け、周辺を捜索していた。現場から遺書は発見されていない。
生徒や他の教員らとともに引率の責任者として修学旅行に参加していた教頭は、旅客船から救助された後、「私だけが救助された」と自らを責めている姿が見られたという。
教頭は16日、海洋警察庁から救助状況などに関して参考人として調べを受けていたことが分かった。
警察は現場の状況などから、旅客船沈没事故で多数の生徒の安否が分かっていないことに対し、教頭が責任を感じて自殺したものとみて、正確な経緯を調査している。
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