警察や政府筋によると、黄元書記はバスルームで倒れているのを警護員により発見された。持病がなく、外部からの侵入の形跡もなかったことから、心臓まひなどで死亡したものと警察はみている。司法解剖を行い、正確な死因を調べる計画だ。
黄元書記は北朝鮮の最高人民会議議長、党国際担当書記などを務めた。1997年2月、金徳弘(キム・ドクホン)元ヨグァン貿易社長とともに中国・北京の韓国総領事館に亡命を申請し、フィリピンを経てソウルに入った。韓国に亡命した北朝鮮の要人としては最高位となる。
黄元書記は1923年に咸鏡北道に生まれ、金日成総合大学を経て1949年にモスクワ大学でマルクス・レーニン主義を学んだ。金日成総合大学の教授を務め、故金日成(キム・イルソン)主席の思想を「主体思想」として集大成した。1970年に党中央委員、1980年に党書記、1984年に祖国平和統一委員会副委員長、1987年に朝鮮社会科学者協委員長に就任した。金正日(キム・ジョンイル)体制の確立にも主導的な役割を果たしたとされる。
韓国亡命後は一貫して北朝鮮に苦言を呈し、体制問題に触れたことから、北朝鮮にとっては目の敵のような存在だった。2006年12月には赤い染料がぬられた自身の写真、手斧や脅迫文が入った小包が送りつけられるなど、命を脅かされていた。
ことし4月には、黄元書記の殺害指令を受け韓国入りした北朝鮮・人民武力部偵察総局のスパイ2人が逮捕される事件が発生し、警護チームは同氏を常時警護していたとされる。
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