(画像提供:wowkorea)
(画像提供:wowkorea)
「サイレント・インベージョン:オーストラリアにおける中国の影響」という本を書いた「クライブ・ハミルトン」教授(オーストラリアのチャールズ・スタート大学)は、朝鮮日報とのインタビュー(7月20日付)でこう語る。

ファン・ヒ の最新ニュースまとめ

 韓国の政治指導層は最初から怯えて中国と米国の間で「戦略的曖昧さ」と言う惰弱な態度を維持している。中国と緊密な関係を維持すると同時に、韓国の独立も守れると考えるのであれば、それは「危険な賭博」だ…辛うじて勝ち取った韓国の自由と独立が今、親中政治家、親中財界エリート、親中世論形成者らによって売られて行っている。

 彼らは自由と独立を大切に感じず、自分だけの富と政治権力、社会的影響力のみ考えている。韓国人は主権国家として「独立」をどれくらい重視するのかを決定すべきだ。

 万が一、答えが「それほどでも」であれば、中国のお金を貰い続け、頭を下げ続ければ良い。反対に、「ものすごく」であれば、中国が課す経済的処罰を耐え忍ぶと同時に、自由を得るための代価を支払わねばならない…。

 韓国人は今日の中国のウィグルでの人権弾圧のような犯罪行為には鈍感だが、70年以上も経過した過去の戦争犯罪にはとても敏感だ。驚くべきことだ。しかし実は東北アジアを支配しようとする中国の野望を牽制しうる韓国の同盟相手は日本であるという点だ。

 中国共産党は韓国内の反日感情を激化させるために積極的に動いている。韓国内の反日民族主義団体の一部は中国共産党の統制を受けている。

このインタビュー記事のタイトルは「中国に怯え、惰弱な韓国政治家たち…辛うじて勝ち取った独立を守れるか」となっているのだが、朝鮮日報には同じ日付で「米・EU・英・日・NATOが中国のサイバー攻撃を批判…韓国は加わらず」と言うタイトルの記事も掲載され、奇妙なアンサンブルが演出された。

オーストラリアに対する中国による全方位からの浸透戦略を告発した「ハミルトン」教授の本は2018年に出版され、中国共産党の本質を見破ったと評価され、オーストラリアと米国の対中戦略を修正させるほど反響を呼んだ。

朝鮮の開化派官僚のキム・ホンジプ(金弘集、1842~1896)は1880年8月に日本を訪問し、近代化された姿を目撃して大きな衝撃を受けた。そして一か月後に帰国する時に、日本駐在の清国外交官「黄遵憲(1848~1905)」から『朝鮮策略』と言う本をもらって来た。

この本には当時、南下を推進する「ロシア」に対抗するために、朝鮮と日本、清国が互いに緊密に協調すべきだという黄遵憲の考えが込められていた。朝鮮に対する指摘としては次のように出て来る。

「世界の全ての国の人々が朝鮮を危ぶなっかしく感じて眺めており、実際に朝鮮人だけが切迫する災難に気がついていない」。

続けて挙げたのが「燕雀処堂」だ。「火事となり家が全て焼かれたにも拘らず、のんびりと軒に座りさえずる燕と雀」(危険が迫っている中、無知・無関心なまま鳴きさえずっている様、仲間内で言い争ってばかりいる能天気な様子)と言う意味だ。燕と雀は当然、朝鮮を指し示す。黄遵憲は朝鮮が駆使するに値する戦略に関してこのように助言した。

「親中国、結日本、連米国」

中国と親しみ、日本と結束して、米国と連帯し、自国の強化に尽力しろと言うものだった。帰国した金弘集は『朝鮮策略』を高宗(当時の朝鮮国王)に献上した。高宗はその内容に関心を見せ、官僚ら、主要人物に回覧させた。

しかし、当時の朝鮮の為政者や知識人達は、時代の変化の流れを読めなかった。むしろその本の内容に反対する衛正斥邪(儒教に基づいた正義を守って、邪悪な西洋・日本の影響を排斥する)の動きがより一層強くなり、1881年3月25日、嶺南儒生らからの「万人疏(集団での建議・上疏)」が受け取られるに至った。

その万人疏の本文には「金弘集が持って来た朝鮮策略と言う本が流布されるのを見て、自ずと身の毛がよだち、肝が据わらず、痛哭して涙を流さざるを得ない」と言う文句で始まった。

1896年2月に「俄館播遷」(日本浪人により王妃の暗殺された後、朝鮮国王がロシア公使館に朝廷を遷した事件)した高宗は金弘集(当時は総理大臣)、ユ・ギルジュン(兪吉濬、朝鮮初の日米留学生)、チョン・ビョンハ(鄭秉夏)、チョ・ヒヨン(趙羲淵)、チャン・バク(張博)など、開化派官僚を「逆賊」として宣布して処刑を命じた。

親露政権の高宗によって動員された行商人ら、数千人の群衆が金弘集などを処刑するために集まって来ており、日本軍は金弘集などを護衛した。兪吉濬、趙羲淵、張博は日本への亡命の途に就いたが、金弘集と鄭秉夏は日本軍の引き留めを振り払って、街路に出て捕まり、グァンファムン(光化門)の通りで悲惨な死を遂げた。

当時の日本公使館の記録によれば、金弘集の最後はこうだった。

「群衆が金弘集を乱刺(メッタ刺し)するのにも飽き足らず、遺体の足に縄を縛り付け、鍾路で引きずり回し、「大逆・不道徳な罪人」と書きつけられた後、再びこん棒で撲打して、足で踏みつけ、石で打たれたので、姿形が見分けられないようになった」

ファン・ヒョン(黄玹、朝鮮の詩人、1855~1910)の『梅泉野録』にも同様に出て来る。

「朝鮮の官憲らが金弘集総理大臣を警務庁の門前へ引っ張り出した。官憲らは怒る群衆が集まって来て立錐の余地がないのを見るや否や、群衆らを後退させた後、刀を抜いて持ち、総理大臣金弘集を足蹴にして倒した。金弘集が倒れるや否や、警官数人が刀を持って飛び掛かり一斉に胸と背中をめった切りにした。そして死体の足の部分を荒縄で縛り、鍾路へ引き回して、「大逆・不道徳な金弘集」と大きく書いた紙を張りつけた。すると道に満ち溢れていた行商人らが死体に向かって大きな石を投げつけ、足で踏みつけ、死体に無傷な所が一つも無いようにされた」

金弘集の夫人(南陽・洪氏)は息子を殺して自殺した。

南下する「ロシア」を警戒すべきだという『朝鮮策略』という本を受け取った高宗は、皮肉にもその「ロシア」に身を預けて開化派官僚らを処刑し、結局、亡国の道を歩んだ。

朝鮮は亡国の公式(指導者の無能 + 国民の未開)をそのままなぞった。指導者の無能は卑怯さへと結びつき、国民の未開ぶりは残忍さへと結びつくものだ。高宗の「俄館播遷」は無能が招いた卑怯な事例であり、開化派官僚に対する群衆の悪行は未開ぶりが招いた残忍さの事例だ。

今日においてはオーストラリアの一人の知識人が南下する中国を警戒すべきだという本を出した。ところが、140年前の『朝鮮策略』当時と比べ、今日の韓国の事情は大きく変わったものが無いように見える。

指導者は無能で、国民は世界で唯一「狂牛病扇動」に翻弄されるくらいレベルが低い。亡国の公式(指導者の無能 + 国民の未開)の骨組みが備わっているのだ。異なることと言えば、140年前には警戒対象が「ロシア」であったが、現在はそれが「中国」へと換わったという点のみだ。

歴史は繰り返されると言う。140年前の事件がそのまま再現されたとすれば、このように簡単にまとめられる。

「指導者は中国に全面的に依存するようになり、知識と教養が足りない国民は自由民主陣営の米国と日本を排斥して亡国の道を歩む」

既にこのような兆候は確然としている。指導者は「中国夢」を共有すると公開の場で宣言した。国民はまたこのような指導者が良いと、あらゆる失政にも拘らず、50%を狙う支持率で応えている。加えて長い間いつも、自由陣営の日本を苦しめられず、集団ヒステリーを起こす状況だ。

亡国の公式(指導者の無能 + 国民の未開)はそのままだ。改善が無いままこのような状態が続いたとしたら、いつの日か、GDP10位圏であった国家が亡国に至ったもの珍しい唯一の事例として、「韓国」が世界中に膾炙されるやもしれない。

※この記事は韓国の保守論客ファンドビルダーさんの寄稿文を日本語に翻訳したものです。韓国メディアには既に韓国語版が公開されています。翻訳の正確さに対する責任は当社にあります。

※※「サイレント・インベージョン:オーストラリアにおける中国の影響」(Silent Invasion: China’s influence in Australia)は、日本で「目に見えぬ侵略 中国のオーストラリア支配計画」の題名で出版されています。

Copyrights(C)wowkorea.jp 6